「すみません」 謝罪のケースで使われる言葉。 謝罪するような場面で使う分には使うべき言葉だと思いますが、謝るようなところじゃないのに自然と出てきてしまいませんか。 もちろん、「すみません」という言葉は、謝るという意味で「すみません」というだけではないと思います。 物を落とした時、誰かが拾ってくれて「すみません」と言うのは、お手数をかけてしまったことに謝罪をするという意味合いも込められているとは思いますが、どちらかというと拾ってくれてありがとうという感謝の意味合いのほうが強いのではないでしょうか。 でも、それだったら相手にもわかりやすいように「ありがとうございます」というべきではないかとひそかに思っております。 会社で働きながら、謝るケースではないのに自然と口から「すみません」と言っている自分によく気づきます。 社会人になってから始まった現象ではありませんが、学生の時より使う場面が増えたのは否定しようがありません。 以前から、反射的に「すみません」と言葉を発した時、思い出す過去の出来事があります。
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中学生の時、メールのやりとりで。
私が13歳の時、中学2年生の時ですね。 クラスの一部で流行っていたことがありました。 ブログです。 ブログといっても、みんなの有益になるような情報を書くような生産的なものではなくて、学校が終わってから、クラス内のコミュニケーションのツールとして使っていました。 学校の部活が終わり、友人と遊んで家に帰ると友達のブログをチェックしては、自分のブログの更新をする、これが中学生時代の日課であり、楽しみでもありました。 ブログと同時に流行っていたのがメール。 周りの友人の半分くらいは携帯電話を持っていたので、気軽にメールができていたのですが私は携帯電話は高校生から持ち始めたのでまだ持っていませんでした。 周りの友人とメールがしたいと思っていたのですが、ブログを始めてからは、ブログ開設のためにメールアドレスを発行しなければならなかったので、PCでもできるフリーメールを利用しだしたのです。 これで友人とメールができる! 1日の楽しみとして、ブログとメール、パソコンを使い始めた私にとってPCの利用目的はこの二つになっていました。 ある時、学校から帰ってパソコンでブログを書きながら、クラスの友人5~6人とメールをしていました。 だいたい誰とメールしていたかは覚えていますが、メールの内容は今となっては全く覚えていません。 しかし、その中の女子友達のメールの内容が印象的だったので今でも覚えております。 どんなやりとりかは忘れてしまいましたが、その友人が言っていたことは、人生で一番言う言葉が「すみません」らしいよ。 だから、何かすみませんって言いそうになったら「ありがとう」って言うようにしてる。 だって、人生で一番言う言葉が「すみません」ってなんか残念じゃん。中学生Luck少年はこの言葉に非常に感銘を覚えました。 確かに、どうせ人生生きるなら感謝して一生を終えたいなと。 今、同じ言葉を聞いていたらきっと力強く「アーーーーーメン!!!!!」と言っていることでしょう。
その後も感謝の生を生きると決意
そのメールがあってから、私は高校に進学しても大学進学で上京してきても、なるべく感謝して生きてきました。 もちろん忘れてる時は無理でしたが、生活の中で「すみません」と反射的に言っていることに気付いた時は、「感謝しよう」と自分に言い聞かせてきたのです。 聖書でも「すべてのことに感謝しなさい」という聖句があります。 自分なりに感謝の生を生きてきて、感謝することが心からいいものだということを実感している状態で摂理に導かれました。 感謝するということを含め、それ以外の側面でも、聖書に共感できる心が整っていました。 今思えば、あのメールの一言は神様が私を摂理に導いてくださるための準備だったと信じております。 だから、すみませんと反射的に言う時には、感謝のあふれる生を生きて、最高の人生を作っていこうと思うのです。 昔はなんとなくこういう人生がいいなと思っていましたが、今は主のために自分の人生のために永遠な世界で最高に生きれるようにと、明確な目的があって感謝しようと思えていることが変わったところです。]]>今日のひとこと
反射的にすみませんと言った時、謝らなくていいよと言われたら、謝っているつもりもないから歯がゆい思いにもなるw
コメント
コメント一覧 (0件)
日本人は謝りすぎですよね(*_*)
私も感謝でいきたいです。
そして中学時代にブログというのにジェネレーションギャップ!
私の時は文通と交換日記でした笑
そるさん>コメントありがとうございます!ジェネレーション!w文通にも憧れます