他の方はどうなのか
わからないのですが、
30代半ばに
差し掛かろうとしているRiccaは
挑戦に対して以前より
億劫になっているなと感じます。
よくないですよね。
でも、比べる対象が対象なだけに(2歳児)
顕著にそう感じるのです。
娘はなんであんなに果敢なんだろう。
歳を取ると頭が固くなり、
過去の体験のみならず
成功にしがみついたり、
持論を展開しちゃったりなんかして、
まっさらなところに飛び込む前に
躊躇して
わかってるふりして
言い訳して
どうにか飛び込まないようにしている
自分がいるように思います。
皆さんはどうですか。
いくつになっても
「チャレンジ精神旺盛」でいる人って
本当にカッコいいと思うのですが、
臆病になっている自分を
ふと、とてもカッコ悪いなと思いました。
私は摂理に来る前に
偏差値だけで言えば四流・五流の私大から
国立大への編入学を果たしたのですが
(今思っても実力的に「奇蹟」以外の
何物でもないんですが)、
予備校で多くの受験生を見てきた講師が
「無理(受かるはずない)」
と言っているのに聞かず、
志望校に通いたい一心で挑戦したって
あのがむしゃらさはどこに行ったんだろう、と。
私は現役・浪人と2度
当時の志望校受験に失敗してるので、
編入を志したときは
「親に金銭的な負担をかけない。
さらに自分の覚悟を示す」と決めて、
今までお年玉等で貯金してきたお金や
バイトをしながら、
予備校費用や受験費用を捻出しました。
見栄っ張りなので、
「落ちたらカッコ悪い」と思って、
周りには一切言わずに隠し通し、
大学ではサークルも入らないものの、
飲み会は適度に参加して「普通」を装い、
1時間半の通学時間をフル活用して
大学の勉強も
編入試験のための勉強もしてました。
落ちたら続けて通わなくては
いけなかったから、
単位を落とすことはしませんでした。
入学した大学は
以前の大学で取得した単位を
全然認めてくれない大学だったので、
結局私が大学生活で取得した単位は
196単位だったかな…(汗)
あれだけ勉強したのに、
内容、ほとんど忘れちゃってますけど^^;
もちろんあれだけ没頭できたのは、
親を初めとする周りの人の
支えがあったからですし、
不安だらけで受験もしましたが、
ひたむきに真っ直ぐに
やっていましたね。
他にも若いときに挑戦したことは
無謀なことを含めて
いろいろあったなぁなんて
回想してしまいました。
…発想が年寄り?!(汗)
私が挑戦に憧れるのは、
「挑戦」に下記のような
イメージがあるからかもしれません。
<挑戦>は現在より高い所にある。
現在は「満足がいかない位置」だ。
挑戦は「満足がいく段階」だ。
そうして、成長したら、
また満足がいかない。
だからまた挑戦しなさい。
<2015年7月20日
鄭明析牧師の明け方の箴言>
でも、この歳になって
若々しさだけでいいかというと、
それはちょっと違うかな
とも思うんです。
30代半ばって
実は微妙なお年頃かもしれません。
年上の人たちは老練に行ないます。
年齢が幼い人たちは老練性は弱いけれども、
若いからそれだけ力を持って熱心に走り、
飛び回って行ないます。
<2015年10月4日
鄭明析牧師の主日の御言葉>
若い人の持ち味がパワー、
年長者の持ち味は老練さ。
30代半ばは、
老練さも醸し出しつつ、
新たなことも恐れずにいく若さも
必要な過渡期なお年頃なのかもしれません。
というわけで、
下記ように生きていくのが
いいのかなぁ、と思いました。
要領よく挑戦だ。
<2015年7月20日
鄭明析牧師の明け方の箴言>
背中で語れるママでもありたい、
欲張りなRiccaなのでした。
…ん?
これも「挑戦」ですかね?
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