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何を遺して生きていくのか

歴史上の人物を見ると、
自分が財産を築くよりも
「後世に何を遺せるか」
をテーマに生きてきた偉人たちが
たくさんいます。

もうすぐ終わる朝ドラでも
描かれていた五代友厚も、
その一人なようです。

彼は大阪経済を立て直すために奔走し、
様々な事業にも手を出し
見た目は「成功」をおさめたようでしたが、
死後に遺されていたのは莫大な財産ではなく
借金の督促状だったと。
後輩たちのために借金を肩代わりするなどし、
たくさん投資していたそうです。

歴史を学んで胸が熱くなるのは、
今よりも何も整っていない時代に、
「後世のために」
私財を投資し、命を懸け、
まだ見ぬ日本のために
あるいは世界のために
熱く熱く奔走していく姿を感じる時です。

今はどの時代よりも
物質面では発達しているし、
私が住む日本では、
物資も安全も確保されている人がほとんど。

でも、気概は?

その精神は?

当時より勝っていると言えるのでしょうか。

一人の偉人と比べるなという話なのでしょうか。

「今さえ良ければいい」
そんな価値観が溢れているようで、
後世を考えると心配なのです。

 

もし誰もが
「自分が後世に何を遺せるか」
を考えて生きたとしたら。

私は胸がドキドキしてきます。
本当にこの世界は変わるでしょう。

子育てをする上でも、
衣食住の他に学歴、仕事、
そういったものも重要だけれど、
もっと深いところ、
もっと広いところ、
もっと大きいところ、
日本だけでなく
世界を見て考える精神とか、
たった一人からだとしても
世の中を変えたいと思うほどの気概とか
何か目に見えない、
そう―――

 

志の部分を育ててあげられたら

 

と思っています。

壮大すぎる夢でしょうか。
まずは私がその生活をしていないのに
無理な話でしょうか。

それでも、
今はできてないのだとしても、
目標に定めなくては
いつまでたっても目指さないし、
それに向かって走らなければ
いつまでたっても到達はできないのです。

無理かもしれないけれど、
1歩くらいはできるようになるかもしれない。

 

偉人の話じゃなくて、私にもできる。

 

はっきりとそう教えてくださったのは、
他ならぬ鄭明析牧師、私の先生です。
先生もまさに
たくさんの誤解や偏見、迫害にも耐え、
ただ世界のため、後世のため、未来のため、
私財も人生も命もすべて捧げて、
誰よりも奔走している方です。

 

私も先生のようになりたいです。

 

まだまだ自分の理想からも程遠いけれど、
一から育てられる自分の子は、
志だけは高くいられるようにしてあげたい。

高い目標だけれど、頑張ります!

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