リオ・パラリンピックが閉幕しました。
始まる前はドキドキ、ワクワクしても
あっという間に終わってしまいますね。
1964年、東京オリンピックのときに
初めて「パラリンピック」という言葉が
使われたそうですね。
2020年の東京オリンピックでは、
障害をポジティブに発信しようとしているそうです。
それを聞いて…
障害が個性であるならば。
パラリンピックという特別な舞台だけじゃなく
常日頃からやはり分けない方がいいなと思います。
分けるから誰もが持つ個性じゃなく、
特別な障害として目に映ってしまう部分が
あるのではないかと思うんです。
走るのが得意
絵が得意
勉強が得意
器用
優しい
積極的
慎重
さまざまなものって個性ですよね。
でも、分けてしまうことで
際立って見えてくるものが
「個性」というよりは
「差異」にならないでしょうか。
できない部分があったら、
重いものを持てる人が
持てない人を助けるように
手助けできる社会になったら。
ケガや病気でできないなら
思いやりを持って接するように。
分けるときも必要かもしれませんが、
差別として分けるのでなく
個性を認めて分けたのだとしたら、
もっともっとお互いに優しくなれるのかもしれません。
今の日本社会、
互いの無関心さが気になります。
無関心だからわからないし、
わからない怖さから攻撃的にもなります。
「人は人」が行き過ぎちゃってる気がします。
自分の権利ばかり主張するのではなく、
様々な角度から
お互いを認め、受け入れる社会になれたら
もっと過ごしやすい日本になりそうに思います。
2020年東京オリンピック・パラリンピック。
目指す過程でいい方向に
社会が変わっていけたらいいですね。
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