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摂理の知恵のことば 鄭明析牧師の詩と箴言

鄭明析牧師の霊感の詩

目次

確認1

確認して 行ないなさい 神様が あなたを助ける方法だ 声だ もし 確認せずに 行なっていたら あなたたちの希望が壊れて 跡形もなくなって 砲弾のように爆発して 粉々になり 飛んで行くようになるだろう 体は割れ 傷だらけになって 門前の物乞い 先頭に立つようになり 人々が言葉では言わないけれど 神様の御言葉を 軽んじて 確認せずに行なったのだな 教訓として見て 冷たく通り過ぎる <2016年3月摂理歴史 鄭明析牧師の「確認1」>

確認2

今日も 遅くなっても 確認することをしなかったなら 違う主管圏で 今頃 空(くう)を打って さまよっていただろう。 一日のうちに 一文無しになって 門前物乞いを しただろう。 確認という 方法で 神様が あなたを助けるのだ。 2016年3月 ソムリヨクサ 鄭明析牧師の「確認2」

確認3

確認の武器が頭の中、 いっぱいあるのに、 確認せず、 陰謀に無念にもやられ、 後悔とため息と 無念な涙で 洪水の騒ぎをしているのか。 見ている人気の毒で詠じる。 <2016年3月 摂理歴史 鄭明析牧師の「確認3」>

始動かかった

忙しいと 他の仕事に没頭し がむしゃらにやっているうちに 一つの歳月が去った。 長く経ったので 心のエンジン 錆びついた。 詩の始動 管理の始動 かからない。 あちらこちらへと数週間 引っ張ってまわったら 熱くなって、 心の始動、これらのことも かかった。 これから 走ってみる。 私が走って行なえば、 摂理世界のみんなも 心の足 体の足 だんだんと速くなって、 突風を巻き起こす音が 聞こえてき、 刈り取ることと 詩の音 波のように立つだろう。
<2016年 3月 摂理歴史 鄭明析牧師の ‘始動かかった’>  

見た目には 門が 一番小さかったが、 確認したら 一番広い。 確認が 狭い門を 広げてくれたのだ。 広げれば広げるほど 大きくなる、 ぐいぐい広がる心の門だ。 <2016年3月 摂理歴史より>  

過ぎてみると 雨風が吹き荒れ 吹雪が吹いても その瞬間が 私たちにとって 機会だった。 すべき時だった。 時を分かって生きたら 未練がない。 天と地 時に合わせて行なう全能者が 密かに私たちと共に 行なわれた。 過ぎた日が 甲斐に満ちている。 美しく愛らしい歴史だった。 今の時もそうだ。 過ぎた日に 時を逃さず行なって 現実にも時のレールに乗って 摂理列車 甲斐に満ちて走って行く。 雨風が吹き荒れ 吹雪が吹いてきても 人生の窓の外 眺めて 主と共に走って行く。 <2012年7~8月号 チョウンソリより>

変わる

行なったら 最初は 心ではっきりと 変わる。 もっと行なったら 目立つほど 変わる。 行なうほどに 人々の目に目立つほど 変わる。 霊と肉が目立つほど 変わる。  <2012年7月 チョウンソリより>

変化無双

私は  人間が変わること 本当に嫌だ。 あなたもそうか。 あなたも経験したか。 みんな人間が幼くてそうなのか。 それもあるけれど 将来のことを知らないからそうだし、 現実も正しく知らないからそうだ。 善と悪を判断できない。 みんな 人間が変わること 嫌だと言いながらも変わる。 誰でも自分が好きだと言って 主の愛をしてもいけないし 天の使命を任せてもいけない。 かぼちゃに貴族の帽子を被せたら 額(ひたい)がはげてしまい 愚かな人に 栄誉はふさわしくない。 自分の人生を行く途中 責任を果たせなくて変わり その時は過去に 助けたこと、良くしてあげたこと、 みんな悪評を言って 汚名を着せ 地獄の苦痛を与える。 人間はみんな我が心のようではない。 自分の思う通りにしてあげないと変わる。 心の資質,元(もと)がそうだから 生まれつきのままふるまい、生きる。 人を遠くもせず近くもするな。 適度に育てなさい。 のちにも問題もない。 そんな人をもって 全能者神様,聖霊様,御子の御心を一緒に成したら 互いに偽りなく心を与え 愛して生きて 瑕(きず)のない神様の国 天国に行けるだろうか。 行く途中 見えなかったら 心変わりして消えた。 自分の心の元がそうだから 御子も、その体もどうしようもない。 のちにみんな変わった人も変わらなかった人も 光と闇のようにあらわになって あなたも私も見て みんな言うだろう。 <2012年 9月 チョウンソリより>  

人生の道

寝るところがなくて 私はここに来たか。 食べるものがなくて 私はここに来たか。 吹雪、冷たい風 過酷にも吹きつける。 人生の道 探しにここに来た。 深い洞窟、岩の洞窟が 我が家ではない。 険しい山も 寂しいところも 我が庭ではない。 人生の道を探すため ここで祈り 若い日にこの洞窟で生きた。 その人生 私を探して救い主が来られた。 私に答えてくださり ご自身が人生の道だと ついて来なさい 私に学びなさいとおっしゃった。 長い長い歳月 我が青春が過ぎて行くまで学んだ。 時になれば 山で 山ぶどう、サルナシの実、 ぶどう木の実を取って食べ生活し祈った。 冬 食べるものがないから 木に巻きついたくずのつるを切って噛んで食べ きりきり痛む腸を満たした。 御子主 人生の道 ご自身だと教えてくれて 真実に愛し 時代の御言葉を学んで出て来て 我が兄弟に伝え 民族、世界に伝えて ついて来る人と共に 一つの肢体になって 御子主の体となり手足となって 今日もついて行く <2012年9月チョウンソリより>

失望と希望

人間が  石や木ほどにも ならない 育て育てた人 愛もして 生きることもしたが 期待が外れて 失望したので これから二度と そんな人 まったくいないように 石、木のように選び また選んで しよう。 私が選んであげよう。 <2012年 9月 チョウンソリより>

経緯(いきさつ)

地球村 至るところ 山奥のも多くて多いが 狭くて狭いところ 月明洞(ウォルミョンドン)は 山奥 天の経緯が多くて多い ある日 天の将来を分かって この谷 神様 御子様 聖霊様 小さくて本当に小さい私と あまりにも関わっている経緯が多いと 時になれば 地球村の人間雲 千年かけて この谷に群がって来ると言ったが みんな聞いても 一人も信じてくれなかった。 そのことを言うから 私に 気が狂った 夢を見ているのかと言った。 この谷のみんな 見向きもせず 悪口まで言って 気ちがいと言ったら 私の顔を振り向いた。 天の将来を 啓示を受けて 長い歳月 全部過ぎて 天の定まった時になったので 神様 御子様 聖霊様 感動を与えて 私に 時代に言ったことを伝えたところ 地球村の人間雲 群がって来て あの山奥 人間雲で覆われた。 この世が悪をもって接するので その代価を払うため 今はみんなに会うことができない 心痛む時だ。 神様の時になってこそ 人間雲に会って 主御子の経緯の言葉を伝え 人間雲に再び会えるだろう。 <2012年 9月 チョウンソリより>

主だけのために

私の肉体を 死から 助けてくださって 今まで存在し、 私の霊魂も 救ってくださって 生きたので 御子主のために たったの1日もかかすことなく 愛して生きよう。 主の体になって 持っている仕事を 幸せだと思って、  地球世界の 全ての命 御子主の愛で 大事にし、 この世で 喜びの元(もと) 希望の元 摂理歴史 大歴史を 広げて生きていこう。 <2013年1月 チョウンソリより>  

愛の家

神様  御子 聖霊様 構想し 私たちは 構想をもらって 美しく 雄大に 神秘的に つくった。 神様 聖霊様 御子に 仕え、愛して 生きる生(せい)だけが 歳月と共に 続く生だ。 愛の家 来られた主 御子に仕え 新婦として 愛の歴史だ。 時代の引き上げの 歴史だ。 御子の 歴史だ。 <2013年10月 チョウンソリより>  

過程

目的ばかり 素早く やって 終わらせようと もがきながら 人生を 疲れて 生きるな 過程で 御子と 共にだ その体と 一緒にだ 幸せな 生(せい)だ 愛の 生だ <2013年 6〜8月号  チョンソリより>  

終わりのない仕事

夜が深くなるまで やっても 仕事の終わりが 見えない 夜が深くなるまで やるからといって 私の仕事が 終わりが見えたら どうやって 地球村の命たち あちらこちら みんな救うだろうか もう肉では ここまでで 霊で すべきことだ。 肉は目まいがして これ以上 することができない 祈りだ 深い夜が 過ぎるまでだ <2013年?9~10月号 チョウンソリより>

道がある

体は 百里、千里 離れていても 互いに愛して 心も考えも 恋しく思えば 心も通じ 考えも通じ 体も会うのだ これだけが 会う道 通じられる道 唯一の道 そうしたら 夢で 恋しく思っていた人と 体も 心も 霊魂も 会う これだけが 地球の世界 どこででも 唯一の 会う道だ 一緒に暮らす道だ <2011年 2月 チョウンソリより>

詩人のための詩

詩は説明するものではない 詩は解釈するものではない 読む人 皆 哲学が違うから 自分なりに解釈もしてみて 自分の主観のまま考えてみるように ある人は読んで笑い ある人は読んで泣き 他の人は読んで悲しむように 詩の天機を漏らしてはいけない その深い心情を誰が知るだろうか 詩人の天機を 自分の哲学のまま 自分の水準とおりに解釈するなら どれほど軽率なことだろうか 詩の秘密を知っていても 詩人のために口を固く閉じて 自分だけが笑って泣いて 骨髄で心情で感じなければならない 言葉にできない経緯を心情に抱いて 行動できないことを骨髄に抱いて 太陽を見て言えないことを 罪のない星を見て書いているのに どうして詩人のその深い文章を 愚かにも解釈して 詩人のその高貴な命を 短命させることができようか 大きな人の詩は知恵者でないと悟れないから 時代を分別し時に従って解釈してあげるのは 詩人の心情のハンを解いてあげることだ むしろそのような人の心情に その霊魂が訪ねてきて 自分の詩が書けるように助けてもくれるから 詩人は詩を書いておいて 満足がなくいつも泣いて笑う 詩人が詩を書く事は趣味ではなく その時代の涙の文学の先見者だから 自分の好きなように書くこともできない 天命、時代の運命だ。 – 2013年8月 チョウンソリより

ペン 紙 満足

私のそばに ボールペンさえあれば 満足だ 紙さえあれば 満足だ 紙は 私の愛する人だ 私は ボールペンだ
– 2013年4月  チョウンソリ 鄭明析牧師 ‘ペン 紙 満足’ –

人生

神霊な祈りをしてこそ 煌(きらめ)く霊感が浮かび 稲妻のように 実践してこそ 風のように 消え去らない <2007年11月 チョウンソリ 鄭明析牧師 ‘人生’>

独り身ではない

私 いつも 独りでいるように見えても 独りではない 天と私 主と私 いつも一緒にいる 私は 独りで行かない 天と私 主と私 歳月もいつも 私と一緒に行くから 寂しくもなく孤独でもない <2007年12月 チョウンソリ 鄭明析牧師  ‘独り身ではない’>

蜘蛛(くも)

日暮れの時 蜘蛛も生き延びようと 私の窓の外 高いところに ぶらりぶらりと 垂れ下がって めまいを起こしながら 蜘蛛の巣を作っている 「何か引っかかるだろう」 希望を持って 座り込んで待っている 日が昇り 早朝に見てみたら 小さなチリ紙だけが 引っかかって ぶらりぶらりとしている がっかりしたのに風まで吹いて それすらも飛んでいってしまった 哀れだ 私があのような有様だろうか 悪人が お前があのような有様だと言って 私を戒めても 希望を持って喜びながら また行うだろう 私はひたすら実践者だ 私が生きて 存在してこそ 神様の地上の国 摂理国の頭(かしら)になって 生かすことができるから 悪行を働く者への教訓だ そう考えたら 悪人たちのその陰謀が 無駄骨に思える
-2006年5月 チョウンソリより-

待つこと

陽が沈み 夕焼けが 染まるのに 帰っていた人も戻り 帰るべき人も帰ったのに 詩の人だけが来なくて 窓を開けて待っています わが愛 詩の人は 夕暮れの前に 現れそうだ – 4月のある日 … 一日のうちに 44篇の詩を書く -2006年4月チョウンソリより-  

鄭明析牧師の夜明けの箴言

困難を変える方法

過去式は「過去」で終った。 新しい年は「新しくやること」だ。 過去式にやったら、以前はできた。 しかし、これからは過去式にやると、「行く道」がふさがる。 新しい方法、新しい心、新しい行ない、新しい次元、新しい人で、新しくやることだ。 栄えと勝利に導く道は「新しくやること」だ。 新しくやることは「問題の答え、問題の解決」で、「希望の方法」で、 「御子の指示」であり、「御子の特別啓示」だ。 2015年3月16日 鄭明析牧師の明け方の御言葉より
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@ Mannam & Daehwa

箴言紹介

「風」も吹かなければ<風>ではない。 <一つの空気>にすぎない。 <人間>も「心・精神・考え」がじっとしていたら、 息をするだけの<一つの空気のような存在>だ。 風が吹くように、 「心・精神・考え」が、さざ波や波のように動いて機能し、 剣のように鋭利に機能してこそ、 <人間>としてちゃんと存在するようになる。 2015年2月16日 鄭明析牧師の明け方の御言葉より]]>

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