なんで自分はこんなことも覚えられていないのかと落胆もしたでしょう。 あんたがあの時そういう風な説明したからそのまま覚えただけなのに!と心の中で血気にもなったことでしょう。 しかし、不思議なことに、ここで課題の分離をしたことで、負の感情が一切沸き起こってこなかったのです。 具体的には、この場合の上司の課題と自分の課題は何かを考えるということ。 整理すると、 ~上司の課題~ ・皮肉を言う必要はない。 ・分かるまで教えればいい。 ・分かりやすく教えればいい。 ~自分の課題~ ・分からなければ聞いたり調べればいい。 ・別に血気を起こしたり落胆する必要もない。 といった感じ。 この整理をすることで、血気もなく、落胆もなく、むしろ今覚えればいいのだ、チャンス到来!という考えになりました。 上司の課題は自分ではなんとかできるわけでもないので不満や文句を抱くだけ無駄だなと整理できるようになったのです。 そうしたら自分ができることは何だろうと考えるようになります。 やる気が起こってくるのを感じ、自分が成長するしかない考えだなと思いました。 これはちょうどマタイによる福音書の梁の話にも似ている気がします。
マタイによる福音書7章3~5節 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。兄弟の梁を見ないで、まずは自分の目のチリを除くことに集中すること。 一番心がスッキリし、成長の早い方法ですな。]]>