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祈って、祈って、また祈った私の就活ー前編ー

 私は大学院に行きたくて、勉強をしていました。でも、院試は不合格でした。

 

なぜだろうと考えてみたら、自分がなぜ大学院に行きたいのか、行って何をしたいのか、それらがあいまいだったからだと思います。
そして何より、大学院に行きたい、というよりも、行けばなんとかなるかな、という、目的に対する執念のようなものがなかったからかもしれません。

 

 いずれにせよ、当時の私は大学院に行く気しかなかったので、就活を全くしてきませんでした。なので、私はとりあえず大学はきちんと卒業して、それから就活をし直そうとしました。

  
 
 大学を卒業し、時間に余裕ができた私は、その間に摂理の中での使命を果たすようになりました。私の専攻分野はスポーツに関する学問を修めるものだったので、教会で行われるスポーツの時間で、メンバーを取りまとめたり、司会をしたりするようになりました。

 

 ですが、当時の私はこの役割が嫌でした(笑)本当に嫌でした。スポーツの時間の前には、緊張のあまり毎回吐き気がしたり、憂鬱な気持ちになってました。

 

 明け方にも神様にたくさんお祈りしました。

 

「 やだ、もうやだ。やりたくない。なんで自分がやらなくちゃいけないんだ。ほかの人にやってもらいたい。」
時にはこれで1時間ずっと祈っていたこともありました。どんだけ嫌やってんっていう(笑)でも、お祈りの後は不思議と決まって次のような気持ちにさせてくれました。

 

「やるしかない。この教会では自分以外に、できる人間はいない。」

 
 
とにかく目の前のことを、必死にやっていきました。この時の経験が、就活の時に大いに役に立つことになります。
 
  
 
 私は就活を始めようとしたときから、明け方のお祈りで、就活についてのお祈りを入れるようになりました。
いろんなことを祈ってましたが、特に力を入れて祈っていたのは

 
 
1.個性と才能が最も活かされるように
2.天の御心通りに導いてくださるように。もしそうでなかったなら、止めてくださるように。

  
 
でした。
 
 

 教会で様々なことをしながら、大学で行なわれる説明会だったり、企業での説明会に行ってみたものの、どれもいまいちでした。これをやってみたい、というものが見当たりませんでした。

 

 その中で、摂理の御言葉に「自分が今までやってきたことの中でも、神様がその人に何かをしてほしくてそれをさせたのだから、祈って確認してみなさい。」
というものがありました。

 

 なので、私は過去にやってきたことを、一つ一つ、思い出して、神様に「どうして私にこれこれをさせるようにしたのですか?」と聞くようにしていきました。

 
 
 その中で、乗馬については、どれだけ祈っても、ピンと来る答えが閃きませんでした。
私は、大学時代馬術部にいて、そこから摂理に導かれるようになりました。
当時の私は部活の中での人間関係に辟易して、本当に辛い時期でした。

 
 
 そのことを思い返しながら、神様は私に、世の中の虚しさを教えるために乗馬をさせたのだろうか?
でも、そうだとしたら、これまでの生活でも嫌という程実感してきていたから、わざわざ乗馬でなくてもいいはず。なんでだろう?どうして?

 
 
そんなことをあれこれ考え、1ヶ月近くお祈りしていました。

  
 
 そんななか、実家に帰省することがありました。
その時に母親から、「乗馬を習っている友人から体験乗馬のチケットをもらったんだけど、行ってみない?」と誘いがありました。

 

 当時の私はそこまでして馬に乗りたいわけでもなかったので、断ろうとしました。
ですが、普段は割とすぐに引き下がる母が、この時ばかりは「絶対に行った方がいい」とかなり強く勧めてきました。
なので、私は母に強く推されるかたちで、体験乗馬に行ってきたのでした。

 

中編へ続く

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