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大学と教会との行き来で感じたこと

「どうも、こんにちは~。あんちゃんです!」

今回は、大学と教会との行き来で感じたことを書きますね。

大学では、情報系の専攻だったのですが、期待していたことは、

どちらかと言うと、人との情報のやりとりとか、コミュニケーションに関する分野でした。

ところが、実際入ってみると、ちょっとオタクっぽい人もいて、

予想に反するものだったのです。(–);

ただ、友人や先輩にも恵まれ、電子回路の設計・実装や、

通信プログラムの作成など、苦労しながらも達成感を味わうこともでき、

それが今では、幸いにも飯の種になっていたりするのです…

 

一方で、理系で本を読むのが嫌いな私でしたが、

浪人時代に、自分から一番遠いであろう分野にも挑戦しようと思って、

哲学の本に少し触れていました。

物事の本質を探求する大切さが少し分かったくらいでしたが、

教会で聖書を解きながら人間や世界の本質を分かりやすく教えてくれる講義は、

形而上学と形而下学を整理しつつ、理論と実践が一体となっている所が良かったです。

 

宗教で先行するイメージって、あるじゃないですか?

今もそうですが、教祖様とか、洗脳とか、監禁とか、高額な壺とか…(^^);

そんなのがなくて、そして、自由なんです。あと、懐の深さというか。

最初は、神様のことが分からなくて、「浪人になったのも御心かもね」と言われ、

「あなたに私の人生の苦労が、そんな簡単に分かるのだろうか…」と尖がっていた私を、

皆さんは辛抱強く、そして、温かく見守ってくれました。

今振り返ってみれば、その人たちを通して、神様の御心や愛を、

少しずつ感じられるようになったのだと思います。

 

先生が神様から教わった御言葉は、もがきの実践の中で得られたもので、

とても納得感があり、それまでの様々な知識や経験が一つに繋がっていくように感じました。

大学時代は、サッカー、ギター、演劇、お笑いなど、様々な新しいことにも挑戦しましたが、

雰囲気に流されず、時間をかけて自分とじっくり向き合ってみるのはいかがでしょうか?

では、また。(^^)/

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