MENU

実践者であってこその指導者

 

指導者=実践者

世の中にはいろんな指導者がいます。教育の世界も、政治の世界にも、スポーツの世界にも様々です。ただ、本を読んでそのまま伝えることなら誰でもできるでしょう。理論は良い。しかし、行いが伴っているのかが重要です。政治においても、マニフェストが良くて投票したのに、実際当選したらそのように出来ない。それでは信頼は得られず、すぐに降ろされる。実践できる人が大きい人です。

神様の言葉を実践する鄭明析牧師

鄭明析牧師はベトナム戦争を経験しています。ある日、鄭明析牧師は一番危険な仕事である偵察に出ました。歩いているとすぐ4m先に敵が座っていました。敵が先に鄭明析牧師を見ました。戦場では先に見たほうが有利。相手が引き金を引けば殺されてしまう状況にいました。自分はいよいよ死ぬのかと思ったそうです。

「神様、もう少し生きたいのです。」

「お前の運命はここまでだ。人生の限界はここまでだ。素直になりなさい。」

「神様、生きたいのです。生かせてください。」

「お前が本当に生きたいのだったら、銃を捨ててあの人の前に行きなさい。お前が生きようとしたら死ぬ。なぜか。立場を変えてみなさい。お前が先に敵を見つけたならお前次第だ。引いたら助からない。その人が引かないと助かる。」

「神様、でも殺されるかもしれません。相手が引いたら殺されるかもしれません。」

「私は言ったから。あなたが好きにしなさい。生きたいならそうしなさい。生きようとしたら殺される。」

どうせ死ぬなら言う通りにしてみようと、銃を降ろして、死ぬ覚悟で1歩進んで行きました。進んで行ったら敵が妹に見えました。どうしてここに、捕虜として連れられてきたのかと抱き合いました。しばらくしてみたら男でした。神様のおっしゃる通りにした時に幻で妹に見せて抱き合うようになりました。相手も人殺しが好きでないのにどうしてこう言う事をしているのか分からないと言いました。その人は負傷していて、いざとなったら爆弾で死のうと構えて座っているところでした。

神様の望む生き方

鄭明析牧師が一番神様の力を感じたのがベトナム戦争だったそうです。神様がいらっしゃる事をはっきり悟りました。命の危機にさらされながらそのたびに人に頼っては解決できないことが神様によってのみ解決され、神様がいると認めざるを得なかったとおっしゃいます。人間的に考えたら殺されていた状況。神様の言うとおりにしたから生きることができたのです。

その様に生きなさいというのは言えても実際に銃を捨てて、実行するのは難しいです。私がどんなに自問自答しても、あの場面で銃を捨てて敵に抱きつくことはできないだろうと思ってしまいます。平和の実践、愛の実践、神様の望む生き方の実践者、その指導者として、鄭明析牧師を本当に尊敬します。

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

目次
閉じる