「2円の愛」と聞くと、連想されるのは・・・
募金?
2円でどれくらいの行いができるのだろう。
1000億円の愛と聞いて連想されるのは・・・
わからない^^;からググってみると
富豪とか法人レベルとか戦艦とか・・・一言でいうと私個人には、文字通りレベルが違う・・笑
日本、九州で生活する私にとっての2円の愛とは
ビニール袋。買い物袋です。
昨日、買い出しに行ったんだけど、行く直前にエコバックを探しました。
ないな~と思って姉に「姉ちゃんエコバック持っとら~ん?なか~T△T」
(お姉さん、エコバック持ってない?私のがないーT△T )
と聞きました
そしたら姉は「こいじゃいかんと?」(これではいけないの?)
と言って、自分も出かけるために急いでいるはずなのに大き目のショップ袋を小さく畳んで渡してくれました。
そのときは、あ!それもありか!と思って「ありがとー」と言って何気なくもらって買い物に行きました。
お店について車から降りるとき、私は財布だけ手に取っておりました。
忘れたんじゃなくて、やっぱりそんなに買わないだろうから別にいらないかなと思ったのです。
一件目のお店でエコバックを持ってても割引とか特になにもなかったので、次もいっか。と思って隣のスーパーに行きました。
しかし。
そっちのお店ではありました。「買い物袋持ってたら2円引き」
そこで思い出す姉の姿。
自分のものをなくした妹のために、自分の用事を差し置いて、サイズもちょうどよく質の良いビニール袋を探して、私が持ってるバックに入るようにきれいに小さく畳んでくれた姉の姿。
サイズとか質とかについて直接聞いたわけじゃないけど、姉はそんな人です。
そんなことを考えていると、それだけじゃなく、いつも私にかけてくれている気苦労が思い出され
ああ、これが愛か・・・と思いました。
スーパーのレジでは2円だったけど、
その愛を考えると2円ではとうてい換算できない。
「自分の愛」を1兆ウォン(約1000億円)のお金だと思って、
本当に価値ある使い方をしなければならない。
世の中のために自分の愛を使ったら、消耗品の愛で終わる。
だから、その愛はいくら全部投資をして使っても、結局残るものがない。
自分の救いのために、神様と御子を愛して使いなさい。
そうすれば、永遠まで行く。
鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師の明け方の御言葉(マンデーより転載)より
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