もし「教会に行っちゃだめ」「聖書読んじゃだめ」
「摂理の御言葉、聞いちゃだめ」なんて言われたら…摂理好きチーナは本当に死んでしまいそうです。
はい、心は死んでしまいます(T_T)
心臓が当たり前に拍動しているように、
自然と呼吸しているように、
摂理の御言葉を見聞きするのは、生活の一部で当たり前になっていて、
なくなったら…なんて考えられんよね!!(T_T)
だって、心臓が止まったら➧➧ 肉体は死んでしまいます。
だって、呼吸が出来なくなったら➧➧ 肉体は死んでしまいます。
御言葉は霊魂の糧だ。食べ物と同じだ。
肉体が存在する限り、食べ物を食べなければならないように、
霊が存在する限り、続けて御言葉聞かなければならない。
-鄭明析牧師の御言葉より-
霊魂の糧である、摂理の御言葉を摂取できなくなったら➧➧ 霊と魂が飢え死にするっちゃもん。
これが、自然の摂理ですね。
だから、摂理好きチーナは
摂理の御言葉で生きとるっちゃん(*´▽`*)
<福音>は飢えている霊魂たちを生かす
「霊魂の糧」だ。
-鄭明析牧師の御言葉より-
アーメン!!
うちも、3年数か月前まで、「飢えている霊魂」の1人でした(T_T)
今が本当に幸せです。
飢えが満たされるというのは、本当に幸せです。
私の祖母は第二次世界大戦中20才の乙女でした。
戦時中でお腹が満たされる事はなく、
また四六時中働いて、
「本当にひもじかった」腹がへっていた。と話をしてくれます。
20才の乙女は戦時中も今も変わりません。
祖母曰く「本当にひもじかった。
おまんじゅうを食べる夢を見た時は、本当に狂ったと思ったよ。
いつも、ご飯の事ばかり考えとった。」と。
摂理の御言葉に出会う前まで、
「◯◯の名言集」「哲学書」「引き寄せの◯◯」などを読んでみたりと、
私の霊魂は
摂理の御言葉を味わう事をどれだけ考えていた事か…
今は満ち溢れていて、1日を費やしても食べつくせないほど
御言葉を得られる事が本当に幸せであり、
恵まれている事であり、
感謝感激の日々です(*´▽`*)神様、心から感謝します!!