普通の「言葉」ではなく「御」がついている「御言葉」
うーん…何が違うのか。
この話をすると、
私が初めて摂理の御言葉を聞いたときを思い出します。
摂理のお姉さん 「神様の言葉を御言葉と言うよ」
摂理の女子大生になる前の普通の女子大生だった私 「へー」
摂理の女子大生と摂理の御言葉との関係はそこから始まりましたw
こんな調子だった私は、御言葉もすごい気がしてましたが、
実際は御言葉を聞きに行くと会えるみんなが好きで、
御言葉を聞きに行ってました。
御言葉はとても楽しく聞いていましたが、今思えば「ま、そんな考え方もあるよね。」というスタンスで受け入れていました。
そんな考え方が徐々に変わり始めたのは最近かも知れません。
よく、チョン・ミョンソク牧師がおっしゃいます。
祈りは対話だ
これを聞いた摂理の女子大生はとても困惑しました。
対話?
よし!じゃあ、祈ってみよう!
「愛する神様感謝します。」
「………」
「今日はすっごく大きな虹が出ていました!神様はそれを見せて何を言いたかったのですか?」
「………」
返事がない。
声聞こえない。
対話って何。
辞書で調べた。
対話:向かい合って話し合うこと。また、その話。(デジタル大辞泉より)
ああ!わからない!
向かい合っている気もしない!実感がない。わからない!
声が聞こえないのに話し合っているとも思えない!
「あの」神さまと自分がやりとりできるとか考えられない
そもそも、神様っていう存在が本当にいるのかどうかもわからないのに。
願い事が叶ったことって生まれてこの方あったかどうかもわからないのに。
霊とか、天国とか、地獄とか、死後の世界とか、守護霊とか、見えない世界が本当にあるのかもわからないのに。
その見えない存在とやりとりができるって本当?
正直、信じられない…
霊感も何もない私が神様と対話できるの?
と、結構ながい間もがきました。
そして答えがでました。
私の肉体の耳には神様の声は聞こえません。
これは問題ありません。普通です。
しかし、耳には聞こえないけど、今まで聞いた御言葉が心に浮かぶことがあります。
ふと思い出す御言葉あるんです。
それが神様との対話の方法でした。
祈りが対話であり、御言葉を通して神様とやり取りができる
ということがわかってからは、御言葉がもう少し大切なものだと思うようになりました。
御言葉を知っていればその分神様が私に話しやすくなるからです。
今まで聞いた御言葉の中に答えがないときは、
後の御言葉で答えてくださることがとても多いです。
でも祈りの中で聞いた直後に返事がくるわけではないし、
「対話」のイメージと違ったので、それも受け入れられませんでした。
でも、対話が途切れたと思ったのは自分だけだと思うなら関係ないですよね!w
自分が問題にぶつかっていて、本当に祈りでどうにかしてください!と求めていたことも、
たんに、あれってどういう意味なんだろーと簡単に思っていたことも
御言葉で答えがきます。
そのときは神秘的に感じたり、不思議に感じたり、
よっしゃ!祈ってた答えがきた!神様きいてくださった!感謝します!うれしいです!と思うときもあります。
なにより神様の愛を感じます。
「神様の言葉を御言葉って言うんだよ」
「へー」
から始まった摂理の女子大生と摂理の御言葉の関係は
今は
「神様の言葉を御言葉って言うんだよ」
「そうですね!「あの」神様とやりとりできるとても大切なものだし、「御言葉」を思い出したときは神様と通じれたうれしさがこみ上げて力も沸いてくるから、普通に言葉というのはもったいなくて、私も「御」をつけたくなります!」
という関係に変わりました(^^)
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