僕はかつて東京に住んでいました。
(その時はまだ摂理には出会っていなかったのですが…)
過ぎた日を振り返るきっかけがあって、東京に住んでいた時のことを思い出しました。
当時、僕は大学受験に取り組んでいました。
体育学専攻の大学に合格するために勉強に運動に必死でした。
満員電車に揺られながら英単語を勉強したことや公園で体力トレーニングをしたことなどが思い出されました。
同時に、その時の労苦が第一志望の不合格という涙の結果に終わったことも思い出されました…
努力は報われたらいいけれども、現実世界、厳しいですよね。
僕はやるだけのことはやったと自分を納得させて、その結果については考えないようにして生きてきました。向き合えば向き合うほど悲しくなるからです。
しかし、摂理にいる今、当時のことを振り返ってみると、
「よく人生を投げ出さずに今日までやってこれたなぁ」と感謝の心が湧いてきましたし、
悔しい過去の経験が自分の人生の肥やしになっているということを知るようになりました。
僕は教育関連の仕事に就きたいと考えています。
「人の痛みが分かる」ことは教育において大切だと思います。
受験失敗という痛みは受験失敗を経験した人だけが分かります。
もし受験に成功していたならば、大学受験を失敗した人の痛みは分からないでしょう。
「人の痛みが分かる」ということに関しては、先生が最高のモデルです!
先生は様々な経験されています。
一つ例をあげると、先生は戦後の衣食住が保障されない生活を経験されています。
一日中働いても一食もまともに食べることができない生活…
まともに食べられない生活がどれほど苦しいのかは、まともに食べられないことを経験した人にしか分かりません。
先生は「あなた、ちゃんと食べてるの?」と衣食住から気にかけてくださいます。
先生は「今自分に足りないことを見るのではなく、今自分が得ていることを考えて感謝しなさい」と教えてくださいました。
最近の僕は、なぜか人生に疲労感があって、希望や楽しみを感じられませんでしたが、過ぎた日を振り返ってみて、今自分が得ていることを考えてみたことで、この問題は解かれました!
自分が得ているものを今一度考えてみて、感謝して、先生みたいに「人の痛みが分かる」愛あふれる人間を目指していきます☆
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