「あと何年?!」
ある詩人が25歳の誕生日に
思ったことだそうだ。
今までは感慨深かった誕生日が、
「あと人生何年生きるのか」と初めて思い、
これまで他人の期待通りに生きてきた人生に対し、
自分が本当にやりたいことは何か―――
と問い始めた、と。
その詩人は、その想いをきっかけに
今まで整理しきれてこなかった
自分の中の想いを整理し、
自分に向き合ったのだそうだ。
「あと何年?」
私もいつからだったか、
そのように思うことがある。
人生は長いようで短い。
人生100年といっても、
100歳を生きた人に訊けば
皆口をそろえて「気づいたら100年だった」
「本当に早かった」と言う。
さらに私たち人間が
この世に肉体が存在できるのは
わずか「一度きり」のことだ。
たった一度の短い人生。
自分の奥底に眠る思いがあるならば、
それをうやむやにして生きていくなら、
もしかしたら最期に
後悔する人生になってしまうかもしれない。
私が摂理に来る経緯になったのも、
自分の中に眠っていた想い
「どうして自分は生きているのか」
を知りたかったからだ。
小学校から中学、高校の頃も思い出しては
眠らせてきたこの想い。
誰に訊いてもしっくりくる答えが得られなかった、
内側から出てきたこの想いの正体は何なのか、と。
今みなさんの生活の中に
<優先権で必ずすべきこと>があるのに、
自分の仕事ばかりしていることがあります。
2015年10月26日
鄭明析牧師による主日の御言葉から
生活ももちろん大切だけれど、
この地球上にいる70億人の
誰ともかぶらない、
この自分という存在を知ること。
この貴重な自分という存在の
内側と向き合うこと。
そして、その想いを汲むこと。
<優先権ですべきこと>
を間違わずに生きたい。
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