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湯呑の大きさで、町の区画が決まる?

 

タイトルにもあるように、

もし「湯呑1個の大きさで町の区画(大きさ)が決まる」と聞いたら、驚くだろうか?

「そんな馬鹿な~」と思うかもしれないが、ちょっと考えてみよう。

 

 

物の大きさについて考えてみよう

 

例えば道路の幅は車1台分の大きさによって決まる。

2車線道路なら車2台分の大きさだし、4車線道路なら車4台分は必要だ。

 

同じように考えると、町の区画の大きさは、家1戸の大きさで決まってくる。

では家の大きさは何で決まるかというと、畳1畳分の大きさで決まる。何畳の家かで大きさが決まる。

(畳を基準にすることが多いが)では畳の大きさは何で決まるかというと、箪笥1個の大きさで決まる。

家の隅に置く箪笥がぴったり収まる大きさに部屋の大きさを仕切るからだ。

箪笥の大きさは何で決まるか言うと、中に入れる湯呑1個の大きさで決まるという話だ。

湯呑1個の大きさで、それを何個入れられる箪笥を作るかで、箪笥の大きさが決まるからだ。

 

 

このように考えてみると、町の1区間の大きさは湯呑1個の大きさにかかってくるという話になる。

陶芸家が湯呑の大きさをどう作るかで、町の1区間の大きさが決まるとなると、陶芸家たちの責任は非常に大きく思えてくる。

適当に作らないで、是非町設計をしている人たちと相談しながら進めてもらいたくなる。

 

 

 

歴史とバタフライエフェクト

 

この話は「風が吹けば桶屋が儲かる」に似ている。

このような小さいことが大きな結果を生み出すことを「バタフライ効果」と言う。

なぜ蝶なのかというと、蝶の羽ばたきによって、それが雪だるま式に変化を呼び、竜巻を起こす原因になるという意味でつけられている。

蝶もまさか竜巻を起こそうとは思っていなかったはずだが、もしかしたらその原因になっていることもありうるという話だ。

 

 

陶芸家が、まさか「自分が作る湯呑の大きさで町の区画の大きさが決まる」とは思っていないように、

私たちも「自分の行為がまさかそんな大きなことに繋がっている」とは思っていないものだ。

しかし実際はそうでもないことは多々あるのかもしれない。

 

 

〇自分の放った一言の言葉によって、誰かが死ぬこともある。

〇自分が放った一言の言葉によって、誰かが生きることもある。

〇自分が捨てたごみ1つを見て、他の人もゴミを捨てるようになって、そこがゴミだらけになることもある。

〇自分がごみ1つを拾う姿を見て、他の人もゴミを拾うようになり、その場所が綺麗になることもある。

〇自分がいじめた1人の人が、後々誰かをいじめて、いじめの連鎖が起こることもある。

〇自分の子供1人をちゃんと愛せないことによって、その子が大きくなって家庭を作り子供を産んでも、ちゃんと子供を愛することができず、負の連鎖が続くこともある。

〇自分が救ったその人が、他の人を救って、結局1000年後には数億、数兆人が救われれることになることもある。

 

 

陶芸家が作る湯呑の大きさで、町の区画の大きさが決まるように、

「今私たちが自分をどれだけの大きさに作るのか?」によって、

これからの歴史の大きさが決まってくる。

 

「今私たちが何人を救うのか?」によって、

これからの歴史の大きさが決まってくる。

 

 

小さい自分が与える影響を深く考えてみると、

本当に全ては繋がっているんだなと感じるようになる。

聖書にはこう書かれている。

 

小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。

ルカによる福音書16章10節

 

 

小さいけれど、大きい自分

小さいけれど、大きいことができる自分

 

まずは小さい自分に忠実に

御言葉通り、神様の構想通りに

自分を作っていきたい。

 

 

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