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自分がやった分  @大阪人

行うことが足すことが。

行なわないことは引くことだ。行なわないなら、その場にとどまることなく、後退することだからだ。

例えば、白鳥や水鳥は水面に浮いていて、動かないように見えますが、実際には水面は動いていますよね。

では、なぜ動かないように見えるのか?水鳥は見えない水面の下で足を必死に動かしているからですよね。

その場にいること。

それだけでもどれほど、たいへんでしょうか?

皆さんは現状に満足できていますか?

もし、満足できていないなら、良いことだと思います。

現状で満足したらそこで終わりですよね。

満足できないから、行なうための力になりますし、行なうのではないでしょうか?

次は、何を目標とするのか?が大事ですよね。

目標があってこそ、達成するためのプロセスを考えることができますよね。

そして、キリスト教福音宣教会(摂理)の素晴らしさはそこにもあります。

自分が目指すべき道のヒントを示してくれるからです。

そして、行なえば行なう分だけ、足すことができ、変化できます。

やった分、報われる。それこそ、神様の祝福ではないでしょうか?

それをやってたくさんやったと思うのか。

自分がやった分、偽りなく自分が変化して、得る。

まだ得たものがあまりない。足しなさい。引くな。

 

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