今日、仕事をする中で、話している中で、「何か?違うなぁ」と思うことがありました。
互いに別々のことを担当しているのですが、一緒にまとめて、進めましょうと話していました。
何が違ったかと言うと・・・
僕の担当している部分ではその内容を含んでいたのですが、相手が担当していることでは含まないという
考え方だったのです。
最初は気付かないで進めていましたが、別の人と話す中でそのことが判明しました。
互いの担当している内容には進め方のルールがあって、それに沿って、進めており気付かなかったのです。
仕事では、そのような事が多いですよね、
この事は、人と人との間でも言えますよね。
同じ会社で働くにしても、出身地や出身校も違いますし、生き方も違いますし、環境も違います。
だからと言って、そこで、そのままにしていては、前に進みませんよね。
相手を知ることで考えを理解し、共にし、一緒に目標を成すことができますよね。
本当に互いに仕事だけではなく、様々なことを対話することが本当に大事です。
どんなに中の良い親子や恋人だとしても、対話もせず、共にしないのでしたら、どうでしょうか?
いつの間にか?
疎遠になり、考えにも差が生じますよね。
また、対話しなかった時間が長いほど、互いの価値等の考えに差が大きくなっていき、より合わなくなります。
仲が良いからと言って、安心できるでしょうか?
家族だとしても、互いに尊重しあい、対話しないといけないのではないでしょうか?
神様も同じです。
神様のことを考えない時間が長いほど、そうではないでしょうか?
人生を生きる中で、自分という生き方や姿勢ができていきますよね。
だからこそ、早い段階で、学び知って、共にする時間をもたないといけないのではないでしょうか?
だからと言って、一概に早くなかったとしても、受け入れる気質があるならば、そうではないですよね。
結局は自分の考えと神様の考えに差があることを理解し・・・
神様の考えを受け入れることができるか?が大事なのではないかと思います。
知ることはたいへんです。でも、続けることに価値があります。
親しくなってこそ、考えの差が無くなり、共にできますし、共に生きる喜びもあるのではないでしょうか?
皆さんもチャレンジしてみませんか?神様と共に過ごす人生を!
<神様の考え>と<人間の考え>との差は、「成功と失敗」の差だ。
「生と死」の差だ。
「すべきこととすべきことでないこと」の差だ。
コメント