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行ないが運命を

苦労してでも行なうことで、得れることってありますよね。

何の努力もなしに得たモノがあったとしても・・・

それは誰かが努力して得たモノを代わりに得ているだけですよね。

幼い時には親がすべてをしてくれたのではないでしょうか?

生活するための費用や学校の学費など、無条件、得れているようでも

それは誰かが汗水を垂らして得られたものですよね。

今は僕も子どもを育てる一人の親として、そのようにしています。

皆さんも親にしてもらったから、親には何かをしてあげたいと思うのではないでしょうか?

自分の行いによって、めぐりめぐって、自分にかえってくるのです。

だからこそ、どの様に行うかが大事ですよね。

御言葉もそうです。

条件を立ててくださった人をとおして、得れたものです。

そうですよね。

過去の人が聖書を残そうとしなかったならどうなったでしょうか?

今の時代、聖書もなければ、何も得れずにいたかもしれません。

そして、今は今の時代を生きているから、、、

今の時代にふさわしいものが必要ではないでしょうか?

皆さんが何を考え、何を行なうのか?何をすべきなのか?

そのための答えが御言葉です。

その御言葉の一つ一つの積み重ねによって、変化していくのではないでしょうか?

みなさんはどうなりたいですか?

何をしたいですか?

今だけを楽しむ人生を生きるなら、その時に得れるかもしれませんが・・・

そのことは持続するでしょうか?

結局、自分の行いが自分の運命を左右するのです。

 

<自分の行ない>によって自ら受ける。

昨日までも、あるいは今さっきまでも自信満々で華やかに生きていた人が、

裁きが降りかかったら、一瞬にして運命が変わる。

 

 

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