意味を知ることは本当に大事ですよね。
人との付き合いは特にそうですよね。
表面的な言葉の意味だけではなく、
どのような背景があって、その言葉が出てきたのか?
確認しなさいと一言あった時、何を確認すべきなのか?
その事をわかって、確認をしないと指示をした人の意図と違ったことをしてしまう可能性もありますよね。
聖書はその意味では本当に難しいです。
わかって、教えてくださる人に聞かなければ・・・
間違った解釈だったとしても、知らなければ、それが正しいと思ってしまいますよね。
正しく意味がわからないなら、片言で外国の方と話していて、互いに間違った認識をしてしまい、
誤解したりする可能性もありますよね。
誤解したら互いに損ではないでしょうか?
つうじてこそ、互いに良いのではないでしょうか?
人生の道を歩む時も
聖書がなぜ、自分の人生にとって、大事で必要なのか?
その意味を分からない人にとっては、自分が人生の道を歩むにしても、
聖書は何の意味もないことになります。
まずはわかっていないことを認めること。
そして、心をあけて、話を聞いてみること。が大事だと、私は思います。
皆さんはどう思いますか?神様はいるのでしょうか?
鄭明析牧師による御言葉
<聖書>も<神様と聖霊様と御子>も<主>も、
正しく分かって解いてこそ、
「自分の人生」も「時代の歴史」も、
霊と肉で正しく広げていく。
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