今日は主日の御言葉を紹介します。
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[鄭明析牧師による主日の御言葉から]
『死には肉の死、霊の死、二つがある』
[御言葉]
鄭明析牧師
[本 文]
○マタイによる福音書27章50、
50)イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
○マタイによる福音書27章53節
53)そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現れた。
○ヨハネによる福音書5章25節
25)よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。そして聞く人は生きるであろう。
○ヤコブの手紙2章26節
26)霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。
○ヨハネの第一の手紙3章15節
15)あなたがたが知っているとおり、すべて兄弟を憎む者は人殺しであり、人殺しはすべて、そのうちに永遠のいのちをとどめてはいない。
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人々は<肉体>だけを見て、<人間の死>を「一つ」だけだと思います。
しかし神様は<人間の死>を「肉体」と「霊魂」の死、「二つ」として考えます。
<肉の死>には、<肉の息が完全に切れて肉が死ぬもの>と、<肉体は生きているけれども行なう機能を果たせないもの>すなわち「行ないの死」に分けることができます。
また肉体が生きていても罪を犯して悔い改めなければ、神様がご覧になる時、罪で死んだと言います。
肉体が生きているけれども機能を果たせなければ「死んだ人」になりますが、再び行なって機能を果たせば「生きている人」になり、罪を悔い改めなければ「死んだ人」になりますが、悔い改めて回復すれば「生きている人」になります。
ただ見たら、「死んでいるの」が見えません。
<祈>って、<主の御言葉>を聞いて、自分を顧みて、直すべきところを直さなければなりません。
これからは<死んだことが何なのか>分かって、<生きている人>として立って光を放つ皆さんになることを祈ります。
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僕もアラフォー世代。
年齢と共に無理がきかなくなってきつつありますが、両親を見ていると
死について、より身近に考えます。
肉体だけではなく、霊魂のことを考える必要性を御言葉で学び幸いです。
みなさんもご自身の霊魂について、考える必要があると個人的に思います。
ぜひ、キリスト教福音宣教会で御言葉を学んで見てください。
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