お店に入って、お金を払わずにでてきたら
泥棒、万引きですよね。
その商品に見合う代価を払ってこそ、手に入れることができますよね。
何かを得ようと思ったら、そのための必要なものを
言い方をかえると見返りを求められますよね。
また、
人と人の関係なら、自分で近づいてこそわかることがほとんどだと思います。
見た目で判断はできませんよね。
接して、話してこそわかることがあります。
そして、もっと知りたいと思うのでしたら、
関心を持ってこそ、そして、愛してこそ、わかるのではないでしょうか?
愛をもって、接した時、
相手もそれに見合った対応をしてくれるのではないでしょうか?
自分の都合、考えで接するのではなく、
どんな時も同じ愛をもって接してこそ、相手はそれを敏感に感じ取ります。
例えば、子どもは
機嫌のいい時もあるし、機嫌がよくない時もありますよね。
良い時だけ、愛で接して、よくない時は近づかないなら、
子どもは敏感にそれを察しますよね。
神様に接する時も同じです。
自分の都合のいい時だけ、頼みに来る人って、どう思いますか?
間違わないように教えてあげたのに
それに従わないで、間違っていたらどう思いますか?
明日は主日。
神様は私たちにどんな御言葉を宣布してくださるでしょうか?
どの様な思い、考えでくださるでしょうか?
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