「半径1」の球を分解して、再び組み立てて「半径2の球」を作れるか?)、 曖昧な定義によって変なパラドックスを起こさないためにも、 摂理の人はなぜお祈りをしているのか、明確に言及します。
祈りは対話だから
祈りは神様との対話だと教えてくださいました。 ではなぜ対話をしなければならないのか。 神様との愛を深めるためです。 私たちは生きている意味を神様との愛に焦点を置いて生きています。 恋人同士も愛を交わすには会話がなければならないように 神様と愛を深めるためにも対話が必要。祈ると神様が働きかけてくださる
神様は求めた人にしか与えてくださいません。 求める人に与えるのが神様の法則。 求めるのは祈りでします。 祈れば思いもよらないところから祝福が訪れます。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 すべて求める者は得、探す者は見い出し、門をたたく者はあけてもらえるからである。 マタイによる福音書7章7-8節
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