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聖書の必要性について考えてみた!

僕が聖書を学んでいると友達に話したら、「カルトじゃね?」とか、「お前、とうとうそっちに走ったか…」と言われました。

その時、「ぜひ一回読んでみてよ!その良さが分かるから!」と話しました。

学んでもいないのにそんなこと言わないでくれよ、俺だって物事を分別する常識はある!と、のどから出そうでしたが(汗)

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聖書を学び始めた人、学ぼうとしている人は多かれ少なかれ不安や抵抗がありますよね…

でもその次元を超えて、自分の人生の問題の答えを発見する目的のために必要だ!ということが少しでも感じられるのならば、学ぶと思います。

 

 

「必要性」ということに関して、牧師先生は教えてくださいました。

どんなことをするにしても、「そのことの必要性」を感じることが本当に重要

<必要性>が分かれば行ない、<必要性>が分からないから行なわない

 

 

毎日の生活を振り返ってみると、食事・睡眠は生きていくために必要だから行ないます。

歌志軒-油そば歌志軒・名古屋の油そば

時間が無くても食べることは欠かさない…好きということもあると思いますが(笑)

 

食事と同様、万事のことが自分に必要だと分かっているならば欠かさずに行なうということです!

 

 

今回、聖書の必要性について考えてみました☆

 

人間の特徴として以下4つが考えられる。

①人間は自分で自分の間違いに気づきにくい。

②他人から絶えずコーチを受けることは難しい。

③他人から自分の間違いについての指摘を受けると快く受け入れることが難しい。

④自分でも他人でも間違っているということに気づけない場合がある。

 

そこで上記4つを考慮すると、

①鏡のような聖書の御言葉で自分の間違いに気づける。

②聖書を開けばいつでもどこでもコーチを受けられる。

③人間の感情が入ることがない。

③神様の視点で自分を省みることができる。

というわけです。

 

みなさんはどのように聖書の必要性を考えますかね?

 

聖書の必要性について納得できるように話せたら、「カルトじゃね?」と言ってきた友達も聖書を学んでみようかと言うだろうか…学んでほしいなぁ…←切実(汗)

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (4件)

  • 聖書のプチ証。
    江戸時代、日本海側のある藩で中国から流れ着いた聖書を一人の侍が拾いました。当時の武士は漢文の素養があるので、中国語の聖書を読める訳です。そうしてそこに書かれているイエス様の姿に感動し、こんな人が本当にいるなら是非会いたいと思い、宣教師に会った訳でもないのに伝道されてしまったそうです。
    あるプロテスタントの教会で聞いた実話です。

  • 聖書は全ての人に学んで頂きたいです!
    聖書を学んで良かったことを私達が伝えていかないといけないですね!

  • 「油そば」って字面だけみると、油っ濃そうで抵抗ありましたが、
    写真を見ると想像と全然違って、食べてみたい!って思いました(笑)

    「聖書」も自分の先入観で見ると、抵抗あるかもしれませんが、
    実際に見て、触れてみたら、きっと気持ちが変わりますよね^ ^

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