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「摂理」で「宗教」を考える。

『イエスは大声で言われた、「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく、わたしをつかわされたかたを信じるのであり、また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るのである。 』 (新約聖書:ヨハネによる福音書12章44〜45節)   即ち、イエス様はイエス様が話したいことを話しているのではなく、根本の神様が伝えたいと願っていることを伝えているのだということです。なので、私の言葉を信じられないならば、私の行なっていることをみて、私が誰なのか、どこからその力がきているのかを悟りなさいとおっしゃいました。その力は、神様から来ているということです。 そして、神様は、いわゆる宗教、宗派に関わらず、地球上のすべての人々に働きかけており、神様と関係ない人は一人もいないと、御言葉で伝えてくださっています。   摂理の御言葉は、一宗教を超えた、人間の普遍的な法則である真理を伝える御言葉です。 もはや、ある一つの宗教とか、そのような考えそのものが当てはまらないようなことです。   色々とこの場で記すことも出来ますが、ひとまず、実際に摂理の教会に来てみて、御言葉を聞いてみたら早いと思います。私がこの場で書いていることが、単なる個人の意見であり、また妄想的なことなのか、それとも、確かに真実を話していることなのか、確認していただけたら幸いです。   参考までに、こちらのブログもどうぞ 摂理ブログ 鄭明析先生と共に 様々な内容で、摂理の御言葉、摂理ライフを紹介してくださっています^^ 「摂理」より「宗教」を考える。でした(^^     ランキング参加中☆応援よろしくお願いします^ ^ にほんブログ村 ライフスタイルブログ あたたかい暮らしへ にほんブログ村]]>

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