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摂理の農業人の年末年始 箱根駅伝と東洋大学

今日も元気いっぱいの摂理の農業人です♪
摂理の農業人の住む広島県の今日の最高気温は4℃。
明日の最低気温はマイナス3℃の予報です(;´Д`)
12月に入り、一気に冬がきました(;^ω^)
ここまで寒いと年末が近づいて来たのだなぁ・・・と感じます(^^;)
皆さんは年末の大掃除やスタットレスの交換準備を始めていますか?
年末年始の予定は決まっていますか?
摂理の農業人宅は子供達が小さいので、基本は自宅で過ごします。
出かけるのは実家に帰省する位です・・・
実家に帰ると箱根駅伝のテレビがついています。
摂理の農業人は普段は全くテレビを見ません!
農業人が東京時代に大学の後輩が箱根駅伝を走ると言う事だったので、当時の教会のメンバーと見に行った事があります。
駅伝は走るだけ・・・
何がそんなに魅力なんだろう・・・
そう思っていました(;´・ω・)
しかし、一度応援に行くと何とも言えない・・・
いや、スポーツ独特の興奮と感動がそこにはありました!
それ以来、摂理の農業人の箱根駅伝を見る目が変わりました(^^♪
他の駅伝はまだ見ませんが、箱根駅伝は実家にテレビがついていたら、少しだけ見てしまいます(^^;)
ここ数年の箱根駅伝で有名なのは東洋大学ですね!
東洋大学ぶっちぎりの優勝の裏には色々な苦悩もあったみたいです(;^ω^)
東洋経済からの記事です!

「万年2位」東洋大が箱根駅伝で圧勝したワケ


目次

あと1歩で勝てないチームが、なぜ“壁”を破れたか



正月の箱根駅伝をTVで見た人も多いと思う。今年も平均視聴率で26.9%をマーク。同時間帯の中では断トツの数字をマークした。しかし、復路の視聴率は27.0%と、過去10年間で最低の数字になった。その最大の原因は、優勝した東洋大が強すぎたことだろう。


往路を2位の駒澤大と59秒差で折り返すと、6区以降はその差をグングンと拡大。8区終了時で3分40秒もの大差がついて、勝負の行方が見えてし まったのだ。視聴者のハラハラ感を削ぐかたちとなった東洋大だが、この2年間は苦難の連続だった。そこで、今回は“箱根王座”を奪還した東洋大から“壁” を突破する方法を学びたい。


東洋大は、「山の神」と呼ばれた柏原竜二が在学した4年間(2008~11年度)で、一気に学生駅伝の“主役”ともいうべきポジションを獲得した大 学だ。柏原入学前は箱根駅伝に67回出場して、最高成績は3位だった。それが柏原入学後は、「山の神」の力を最大限に生かして、箱根では絶対的な強さを発 揮。4年連続で往路を制すと、3度の総合優勝を成し遂げた。


柏原のラストイヤーとなった前々回大会(12年)は、柏原が5区で1時間16分29秒という驚異的な区間記録を打ち立てて、往路新記録をマーク。復路も大会新のタイムで駆け抜けて、総合成績でも大会記録を樹立した。


前方を走るランナーとの5分近い差を、たったひとりでひっくり返してしまうたぐいまれなヒルクライマーが出現したこともあり、全長217.9kmの 箱根駅伝で「5区23.4km」は特別な区間になった。山登りの5区が最長区間になった今回までの9年間で、5区で区間賞を獲得したチームすべてが往路優 勝を成し遂げ、そのうち6チームが総合優勝に輝いている。「山を制す者が箱根を制す」という言葉が現実のモノになった。


5区が最大のアドバンテージとなっていた東洋大も、柏原の卒業と同時に、「5区」に悩まされることになる。昨季(2012年度)は学生三大駅伝の出 雲と全日本で2位。箱根では、1区田口雅也が区間賞、2区設楽啓太が日本人トップ、3区設楽悠太が区間賞と序盤に鉄壁なタスキリレーを見せながら、5区で 1分49秒差を逆転される。服部翔大にトップを奪われて、日本体育大の30年ぶりの歓喜を眺めることになった。
学生トップクラスの実力を誇る設楽啓太・悠太の最速ツインズが最終学年を迎えた今季(2013年度)も、チームはトラックで過去最速タイムをマークしなが ら、出雲と全日本で敗退。学生三大駅伝は5大会連続で「2位」が続いた。6年前までなら、「準優勝」という結果で大喜びしていたかもしれないが、一度“勝 利の味”を知ったチームが、「2位」で満足できるわけがなかった。勝てそうで勝てない。そんな状況を東洋大はいかにして、乗り越えてきたのだろうか。


東洋大は、年間の最大目標となる箱根駅伝の1年前から、「勝つため」の準備に入った。それはちょっと驚くべき作戦だった。酒井俊幸監督は、チームで最も走力のある設楽啓太を5区に配置するプランを打ち出したからだ。


設楽啓太は1年時から“花の2区”を任され、3年連続で好走している選手。今回の箱根駅伝で、もし2区を走ることになれば、留学生を含めて、過去に 4人しか到達していない1時間6分台の期待も高かった。しかし、5区で勝負できる選手がいなかったために、エースを5区にコンバートした。ただし過去の箱 根では、エース級の選手が山登りの5区を快走した例はそれほどなく、駒澤大・大八木弘明監督も「設楽啓太の5区はちょっと考えていなかった」と話すほど大 胆な“リノベーション”だった。


5区は「山登り」への“適性”が左右する部分が大きく、全日本大学駅伝の最長8区で区間賞を獲得したダニエル・ムイバ・キトニー(日大)が今回5区 に出たものの、区間10位に終わっている。しかも、設楽啓太は上りを得意にしているわけではない。その証拠に、設楽啓太の設定タイムは「1時間18分30 秒」と柏原が樹立した区間記録よりも1分51秒も遅かった。


過去8大会の5区区間賞と比較すると物足りないパフォーマンスで、設楽啓太ひとりで考えれば、5区ではなく、2区に起用したほうがタイム的には稼げ たはずだ。しかし、設楽啓太は区間をトップで走った。10区間のトータルで考えるのが箱根駅伝。エースでリスクを回避した酒井監督の緻密な戦術がハマった ことになる。


エースの5区を実現できたのは、2年生の服部勇馬が成長したことと、最速ツインズのもうひとり、設楽悠太という切り札もあったからだ。酒井監督は服 部勇馬を「将来のエース候補」として、1年時より駅伝では主要区間を任せてきた。今回の箱根では服部を2区に、設楽悠太を3区に配置。「2区服部の起用は 1年前から考えていました。そのた めに前回は逆コースとなる9区を走らせたのです。来季はチームの核になる選手ですし、2区を走れば自信になる」(酒井監 督)と来季のことも考慮した攻めのオーダーだった。


服部勇馬は1年前の箱根が終わった日の報告会で、「来年は自分が2区を走ります」と宣言。そのとき、設楽啓太に「それなら俺が5区をやるから、2区 をやれよ」と声をかけられたという。「2区服部勇馬、5区設楽啓太」というオーダーは1年前から準備してきた作戦だった。「5区がしっかりしないと箱根を 制すのは難しいことを、前回、思い知らされました。監督からは『来年の5区はオマエな』と言われたので、覚悟を決めて、この1年取り組んできました」と設 楽啓太はいう。壁を乗り越えるには、万全の準備が欠かせない。


また酒井監督は、設楽啓太と悠太という2枚のカードを手元に置いて、ギリギリまでライバル校の動向と当日の天候を見ていた。当日変更の直前(1月2日の早朝)、元日には強風が吹き荒れた芦ノ湖に風はない。酒井監督はエースを“山”に投入する決断をした。


体重の軽い設楽啓太では、向かい風となる山登りでは力を発揮できない。風が強ければ、作戦を変更して、エースを復路に回す予定だったという。当日の気象条件まで考えて、東洋大は「最善の策」をとった。それはどの大学よりも、極めて慎重で、大胆な戦術だった。


11月の全日本大学駅伝では中盤までトップを快走しながら、4区で首位から陥落。東洋大は駒澤大に3分以上の大差をつけられ敗退した。この時点で学 生駅伝は5大会連続の2位。「全日本が終わった直後が、雰囲気としてはいちばん悪かったですね」とキャプテンの設楽啓太は振り返る。しかし、月に1回だっ たミーティングを増やしたことで、チームは変わり始めた。


特に12月には、多くの時間をミーティングに費やしてきた。2日連続でのミーティングや、朝練習をしないでミーティングに充てた日もあったという。 「負けた原因や、自分たちに何が足りないかを話してきました。今、振り返るとチームワークが欠けていましたね。それを高めていけば勝てると思いました」と 設楽啓太。


ミーティングを重ねることで、これまでは口に出すことができなかった本音の部分をさらけ出すことができたという。本音をぶつけ合ったチームの絆は強 固となり、箱根駅伝の本番では、「メンバーから外れた4年生もしっかりサポートしてくれて、走りやすい環境を作ってくれました」(設楽悠太)と、チーム全 体で「優勝」という目標に向かって突き進むことができたのだ。

勝利をおさめる為には方法を変えて行う!
御言葉でも出ている内容ですね♪
私達の生活も日々変化、勝利、前進していきたいと思います(*^-^*)
来年の箱根駅伝を見るかどうかは・・・子供達次第です(;^ω^)

 


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