地図から消された島についてです。 知っていましたか? そこは広島県竹原市からフェリーで行った場所にある大久野島です! 第一次世界大戦に毒ガス製造工場をつくり、それを敵国に知らせない様に地図から消したそうです(^^;) 詳しくはWikipediaを抜粋しました! ↓
大久野島には、明治30年代に日露戦争開戦に備え、芸予要塞の一角として砲台などが設置された。その後砲台は撤去されたが、陸軍は、第一次世界大戦時に、地理的な条件や秘匿の容易さなどから、大久野島を化学兵器の生産拠点に選び出した。化学兵器は、1925年のジュネーブ議定書で戦争での使用が禁止されていたが、開発保有は合法だった(また、当時の日本は署名だけしており、批准はしていなかった)。1929年(昭和4年)5月には生産施設の建設に着手した。陸軍造兵廠火工廠忠海兵器製造所(後に東京第二陸軍造兵廠忠海製造所)と呼ばれており、主な生産施設には島内北西部の長浦工場地帯と三軒屋工場地帯の2箇所があったほか、発電所、材料・製品倉庫などの関連施設が置かれた。
毒ガス工場の存在は機密性から秘匿され、陸軍が発行した地図においても大久野島一帯は空白地域として扱われた。日中戦争から第二次世界大戦中を通じ主に中国大陸で使用する目的の化学兵器が生産されたほか、殺虫剤などの民生品も生産された。大久野島で生産された毒ガスの総量は6,616トン、生産された毒ガスは、イペリットガス、ルイサイトガス、クシャミガス(呼吸困難)、催涙ガスの4種類である。地元の農民や漁民、勤労動員学生ら6500人が一定の養成期間を経て従事していた。第二次世界大戦終期の1945年には戦局の悪化により化学兵器の生産は縮小され、通常兵器の生産に切り替えられた。このとき一部の毒ガスが海洋投棄され、処分された。
太平洋戦争終戦時に島内に残留していた毒ガスの量は、イペリットガス1,451トン、ルイサイトガス824トン、クシャミガス958トン、催涙ガス7トン、計3,270トンだった。終戦後、GHQ(主にイギリス連邦占領軍のオーストラリア軍)や政府により施設解体や残された化学兵器の処分が、周辺海域への海洋投棄、火炎放射器による焼却、島内での地中処分といった方法で行われ、除毒措置も施された。しかし処分は十分ではなく、現在でも島内地下4~5メートルの土壌で高濃度のヒ素が検出されるなど、負の遺産を受け継いでいる。 ↑ そんな戦争の傷跡が、原爆ドーム以外にも広島県にはあります(-_-;) 今も毒ガス資料館があり、生々しく当時の様子を知ることが出来ます! 摂理の農業人には珍しく真面目な話をしております・・・ そんな大久野島はどうなっているのでしょうか・・・? 終戦後、毒ガスが残っていないか。 生物に影響はあるか。 1971年に8匹のウサギが放されたそうです。 それが現在では700匹以上になっているそうです(^◇^) 今はウサギ島とも呼ばれ多くのウサギを見れる観光地になっています(^^)/ また休暇村大久野島という施設もあり、温泉やバイキングもあります! 島の中ではバーベキューの施設もあり、今はとても良い観光地になっております(^^♪ そして何より素晴らしいのは海!海!海です! ↑ 沖縄? いえいえ大久野島ですよ♪ 本当に海がきれいで海水浴には最高の島です! 思ったより人も少ないのもまた良しです!!! 神様がつくって下さった自然作品を人間の戦争により、汚してしまった事を悔改め、二度と繰り返してはならない! 自然万物も私達人間も神様の創造目的通りに生きていかないといけない!と感じれる場所です! 豊かな自然と歴史を堪能出来る広島県の大久野島に是非ぶらり途中下車の旅をしてはいかがでしょか? ]]>
コメント
コメント一覧 (2件)
うさぎ笑
海きれいですね!
行きたいです~(∩´∀`)∩
この前、仕事の関係でたまたま大久野島に行きました。うさぎ、本当にたくさんいましたよ。リゾートに最適です。