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自らやらないと辛くなる。共同生活から研究生活へ

あると信じてこそ、見つけるようになる。 2017年1月17日明け方の箴言   結果は必ず出る!と信じて行いました。 また、こちらの箴言。

<実践>を「つらいと考え」れば<実践>が「重荷」になる。 2017年1月17日明け方の箴言
  今の私の実践は研究結果を出すこと。 結果を出すことが辛いと思えば、それが重荷になるのです。 もう少しこれについて考えてみました。 なぜ、つらいと思うのか。 研究が上手くいっている時は別につらくはありません。 しかし、今朝のように締め切りが近いのに結果が上手く出てくれないと辛く感じます。 同じ研究なのに感情は両極端になってしまいます。 今思うと、上手くいっている時は”自らやる”という心があります。 一方で、締め切りが近くなった時というのは、”やらされている”心があります。 この違いは大きい。 どんなに逆境な時でも”自らやる心”をもって実践できるようにしなくては。 研究の話からそれますが、自らやる心を持つことでつらく思っていたことから抜け出したことを話します。 私は共同生活をしている時、躓くこともあり、つらく生活をしていた時がありました。 一緒に住んでいる人が掃除をしなかったり、寝たいのにうるさかったりと初めのほうは悪いところばかり目に付いて、辛くなっていた時がありました。 私はこのことについて切実にお祈りした記憶が今でも鮮明に覚えています。 この時、天の考えを主がくださったのです。 「兄弟から害を受けることもあるが、それ以上に兄弟からたくさんもらっていることが本当に多くある。 このおかげで自分が祝福を被っていることもたくさんあるから感謝しないといけない。 感謝すれば、その兄弟たちのために自らなんでもしてあげるべきだ」 ”先に”、”自ら”、してあげること。 これが全ての解決策だったのです。 この思いになってからは共同生活をすることに対して、全然、苦にならず、むしろ兄弟たちと生活を共にできることに嬉しさも感じております。 共同生活で辛く思っている人はぜひ、”先にしてあげる”ことから実践してみてはいかがでしょうか。 この経験があったから、研究生活で辛い時、自ら行うということが解決に繋がると思えたのだと信じてます。  ]]>

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