最近、教会の大学生の相談にのることがあります。
僕は、決して冗舌とは言えないし、むしろ寡黙な方です。
というか、言い過ぎではなくかなり寡黙です。
自分から話すのは、得意ではないので、おしゃべりな人が相手だと、気が楽です(笑)
だから、必然的に聞き役に回ることが多いです。
そのため、相談してくるのだと思います。
よく僕に対して「話しやすい」「安心感がある」という声を聞きます。
相談の内容は色々ありますが多いのは、摂理は正しいと思うし、御言葉は好きだし、先生も好き。だけど、人付き合いがうまくいかない、というものでした。
男性の特徴として、我が強い。負けず嫌い。欲が強い。プライドが高い。というのがあげられると思います。
摂理の男性もやはり否定はできません^^;
皆もがきながら摂理を走っています。
は相談しようとしても、相手も我が強いので、自分の考えを話そうとします。
こうしたら良いよ。と、本人にとってはアドバイスしたつもりでも、相談した人にとっては返って負担になってしまうこともあります。
相談にのっていて、感じたことは、聞いてくれる人って大事なんだということでした。
逆に女性は共感するので、どんどん話します。
でも、男性は共感はしてくれないので、わかってくれない!なんで!となってしまいます。そう思いました。
そうして、孤独になる男性もいるのかなと感じました。
「愛は関心から」と鄭明析牧師がよくおっしゃりますが、その言葉をしみじみと感じます。
教会に通い始めた大学生の子は1年間、疎外感を感じていたようです。
最初は暖かく色んな人が接してくれたけれど、だんだん冷めてきたように思ったそうです。
うちの教会は人数が多いこともあって、1人1人と密接に関わることが難しいです。だからそうなることも仕方ないのかなと自問自答していました。
自分も関心がなかったことを申し訳なく思いました。
男性は意外と繊細です。
でもプライドが高いので抱え込んでしまいます。
だから、男性だからこそ女性的な性格も必要だなと思います。
言葉の力は強いけれど、いくらいいことを言ってからと言っても、相手の問題が解決するとは限りません。
時にはある人の行動を見て変わることもあるし、ある時はその人の優しさ、親しみやすさ、穏やかさに折れることもあるはずです。
僕は、いいことを言えるわけでもないし、話すのが上手いわけでもないです。
アドバイスができるわけでもありません。
でも、相談にのってあげることが、相手の心の傷を和らげることになるのならば、自分も嬉しいです。
誰に対しても関心を持ち、接してあげたいと思います。
そして、誰よりも両親にもっと良くしてあげたいです。
]]>