MENU

一人でも

世の中では、少数の意見よりも多数の意見が尊重されます。

当然ですよね。

だれもが同じように利益や権利を得ようとしたら、多数決で決めないと不公平ですよね。

例えば、少数の意見が尊重されるのでしたら、

選挙は意味がありませんし、武力をもって、多数を支配することも可能ではないでしょうか。

しかし、神様、天の考えは違います。

これは、多数をないがしろにしているのではなく、

判断する前に神様の御心があると言うことです。

太陽が東から昇ることが当たり前ですよね。

多数が反対するからと言って。太陽が西から昇るでしょうか?

神様が創造された世界であるのならば、、、

神様が創造するにあたって、法則も創造されたことは当たり前のことですよね。

今日はその事をとおして、教えてくださいました。

誰かが「それでも地球は動いている(回っている)」と話したとありますね。

現在では地動説は当たり前のことで、それを否定する人はいないのではないですよね。

しかし、当時はどうだったのでしょうか?

実際に受けれようとしない人がいたことでしょう。

いたからこそ、そのような話が残っているのですから。

今の時代はどんな時代でしょうか?

キリスト教福音宣教会(摂理)が教えていることが間違っているのでしょうか?

神様はみんなが知っていても知らなくても、「時」になれば行われるのです。

多数の人が言っているからあっているのではなく、

少数の人が言っているからあっているのではなく、

ただ、神様の「時」なのかどうかが大事なのです。

私たちは大多数の声に耳を傾けるばかりではなく、何が正しく、何があっているのか?

その事を判断しないといけません。

みなさんも同じではないでしょうか?

大多数の人の言葉より、自分の大切な人の言葉に耳を傾け信じるのではないでしょうか?

神様は<時>になれば、

「地球世界の一人」だとしても連れて「神様の御心」を実行なさる。

 

 

 

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次
閉じる