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摂理における共同生活の実態

私は、一人ではない。 おはようございます、satoです。 唐突ですが、実は本日教会の男性で大きな引っ越しがありました。 具体的には、今までより大きな家で共同生活をするために、今私が住んでいるところから移る事になったのです。 …私はバイトが抜け出せず、ほとんど何もできませんでしたが…^^; 引っ越しをするために片付けているうちに色々なものを見つけました。 私へのメッセージカード。教会の人から貰った誕生日プレゼント。 教育実習で担当したクラスの子たちの色紙。休部したサークルの追いコンでもらった色紙。 摂理に来てもらった写真や本。塾で担当した子が書いた似顔絵。 私が描いた絵。 それを思い出しながら、ふと感じたことがあります。 私は摂理に来てから、本当に多くの人と繋がりを持つようになったんだ、私はもう「一人」ではないんだ、ということを。 人は一人でいると、自分を治めることができません。 自分が何をしても、誰にも迷惑を掛けないというなら、たぶん人は自分の好きなように生きることでしょう。 実際、私が間違ったことをする、罪を犯す時は「人との繋がり、神様との繋がり」が感じられず、自分のことしか考えられていない時でした。 だけど、人は「自分を信頼してくれる人」がいると知る時、変わります。 自分は生きて、生きて、めっちゃもがきながら生きて、多くの人を通して「愛」を受けてきました。 それは異性の愛でなく、本当に信頼してくれている愛、認めてくれる愛でした。 (ちょっと不思議なのですが、「自分のことを信頼してくれる、認めてくれる愛」をしてくれる人というのは本当によくわかります。 自分のことを面白く思ってくれる、そういう人が「認めてくれる愛」をしてくれるわけではないんですよね…そこは本当に感じ取るんです) 「satoくんは、悪いことをしない。いい人だ」 そう言葉で話している人はいませんが、そう思ってくれている人がいる、というのは確かです。 特に摂理の人に多いですね。 でも、一番私のことを認めて、愛して、信頼してくれているのは他ならぬ神様なのです。 最近、精神的に調子が狂って、結構ひどい状態になっていました。 その時、神様が 「あなたは優しい人だ。」 と話してくれました。 私が、人にいつも良くしてあげたい、愛を与えたい、そういう人だってことを神様はよく知っていました。 私が悪の方向に流れそうな時、この言葉が身にしみました。 実は、私今日から一人暮らしをします。摂理に来てから初めてです。 …私は摂理に来る前学生会館だったので、本当の意味で一人暮らしはこれが初めてになるのかもしれません。 だけど。 もう私は一人ではありません。信頼してくれる人が、神様がいます。それもたくさん。 前は現実世界でなく空想世界でそういう存在を作り出していましたが、今は本当にいます。 だから、一人だけど一人ではありません。 これから自分がもっと成長して信頼に足る存在になれるように頑張ります。 まずは…引っ越しした荷物を整理して、より神霊な雰囲気に作るところから、でしょうか。  

片付け苦手な私が「段階的に」行うことで整理できた話

こんばんは、satoです。 今年もいよいよ終わりに近づいてきました。 年末に必ずするのが「大掃除」です。一年間、生活する中で出てきた使うもの、使わないもの…時間がなくて、体力がなくて、考えがなくてできなかったところを掃除し、整頓する最高の機会です。
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整理整頓苦手な私

私は特に平素から整頓が苦手です。 いつも物を持っている時に他のことに関心が移り、気がついたら…気がついたら(強調)物をどこかに置いてしまう、というADHDあるあるなことを良くする私。 さらに自分のところと認識したところには、適当に物を置いてしまう…という心の緩みもあって、私の部屋の周りは散乱してしまいます。

ここまでではないですが、かなり散らかっていました。

これでも、摂理に来てからはだいぶ良くなったほうで、実家にいた時も一人暮らしをしていた時も私の部屋は…それはそれはもう…足の踏み場のない「ゴミ屋敷」…とまでは行かないけど、物置のような感じになっていました…。 実家が元々そのような感じだったために、なかなかきれいにする感覚が身につきませんでした。 そもそも、本当に感覚が喪失していると言いますか…。 そんな私は、摂理で共同生活をしています。 実は私、摂理に来てからは共同生活の方が長いです。 共同生活して色々良いことがありましたが、その最も大きなところの一つが「きれいな空間というものがどういうものか」を理解したことでしょうか。 物が散乱していない空間で住むのが初めてだったのですが、そこに長いこといたおかげで「きれいな感覚」が身につきました。 そのおかげで今では時たまセンサーが働いて散らかっているものを元に戻す感覚は身につきました。 しかし、ある程度溜まってしまうと綺麗にすることができなくなってしまいます。物が多すぎて何からすればいいのかわからなくなるからなのだと思われます。

私の整理整頓方法

そんな私が今回大掃除するにあたって、一緒に暮らしている人から「自分の物を整理して」と言われ、それがスイッチとなって整頓をすることにしました。 その時に使ったのが「段階的に」整頓していく、ということです。 というのも、最初からいる/いらないを判断して行うことは、量(空間?)が多いと感じて負担があります。そこで、まずは「自分のものを自分の机辺りに置く」ことから始めました。 こうすることで、ひとまず大部分の空間は片付けたことになるし、残りの部分を整理すればいい、というわけです。 …本当は机に置いた時点であとはいいや、という感じだったのですが、さすがにそれは天の許しが得られませんでしたので…(笑) 続けて、箱の中にあるものを一つ一つ取り出しとりあえず捨てるもの、用済みなものを整理しました。そして、残ったものを机に綺麗になるように配置しました。 その結果、だいぶ私のものが整理されました。 このように「段階的に」行なうというのは私の傾向に合うようです。 最初から完璧にやろうとすると、ちょっとしたことで行き詰まりすぐにやめてしまいます。 なので、まずは「大雑把に」やる。それから、段々と細かく調節していく…ということをするとうまくいくことが多いです。特に文章作成、自分が分かったことをまとめるときはこの方法が一番うまくいきました。 というわけで、私と同じような悩みをお持ちの方は「最初は大雑把に一つに集めて、少しずつ整理していく」ということをオススメします!  

贅沢は敵だ(;´∀`)

諸事情があり、どうやら来月から家賃が値上がりしそうです^^; いえ、家賃そのものの値段が上がるのではなくて、 共同生活しているのですが、1人抜けてしまったために起こってしまうことです。 “社会人なので、1万くらいいいじゃん”とか言う人がいますが、安月給の私にとって、1万はデカイ!!   …よく、〇〇円あれば、〇〇出来る!と考えてしまうタイプです(笑) 1万あれば、携帯2ヶ月分払えるわけですから(笑)   それはそうと、「仕方ない」と思ってしまうのか、「どうせなら安く済ませたい」と思うのかで変わってきます。 でも、人はお金のことになると執着心というか、熱が入るというか、どうでも良くなくなります。 お金の問題は恐ろしいです。 ちょっと今回の件はそこまでではありませんが…   やっぱり使うべきところに使うのがいいですね!   ということで、最近残業代がやや入っていましたが、また節約生活を始めようかな… でも、年末は出費が嵩む(;´∀`) だから、使うべきところに使う!節約! 結論は、贅沢は敵だ(笑)   節約頑張ります☆  

辛い時に力をくれるもの

皆さんだったら、辛い時、苦しい時、どうしますか? 泣く人もいれば、お酒を呑んで忘れようとする人もいます。 人に話して答えを貰おうとする人もいます。 それで、その人の問題が解決するならいいと思います。 最近は、引っ越し関係で心が落ち着きませんでした。 というのも、5人でルームシェアをしていて、その会計を任されていたからです。 たった1年しかやっていないのですが、なかなか難しいもので… お金があわないこともしばしば(ToT) まだ、引っ越しが完結していないので、どうなるかわかりませんが(T_T) 一緒に住んでいる人からも、ちゃんとしてくれと注意されてしまいました。 摂理のメンバーはいい人しかいない! それは事実ですが、そういう人にきつい言葉を言われて、本当に久しぶりにかちんときてしまいました。 仕事中も、帰ったらまた言われるのだろうか…とそういうことばかりしばらく考えていました。 そんな時に、あるメンバーからラインが来たので、このことを話してみました。 すると、御言葉を送ってくれました。
あなたが労苦もせずに得ようとする考え、 あなたも分からないうちにそのような習慣があるから、 少しだけ大変でもやろうとせず、天が助けてくれないと思うのか? そのような考えを初めからするな。 きっぱりとすべて直しなさい!
楽しようとしていたんだなと、自分の考えが間違っていたことに気づきました。 2ヶ月も会計をサボっていたことを悔い改めました。 叱ってくれるって感謝ですよね。 怒られて成長するものです。 その人の言っていることが間違っていれば、それは問題ですが、正しい方向に導いてくれるならばありがたいです! こんな感じで僕の場合は、御言葉で解決しました。 御言葉は指摘するだけではなく、解決策まで教えてくれるので、そのとおりに行なえばいいだけです。本当に御言葉の力って凄いなと感じました! 神様に感謝します!  

発達障害の「掃除」感覚について。

こんばんは、satoです。 今日は「掃除」について書きたいと思います。 摂理で信仰を守るのにおいて「生活」はとても大切なポイントなのですが、その中でも大事なものの一つが「掃除」です。 鄭明析先生は「神様がいらっしゃるところだから」といつもご自身のいらっしゃるところをとても綺麗に掃除します。 なので、鄭明析先生のいらっしゃるところはいつも「清潔」なのです。 ところが、私はそうではありません…(´・ω・`) 私自身も摂理に来て「綺麗さの感覚」は少し身についたのですが、未だにその通りに動けた試しがないのと、やっぱり普通の人より感覚が鈍いようです…。 くらげ×寺島ヒロ 発達障害あるある対談 第七回 「清潔がなんなのかわからないADHD vs 清潔じゃないと生きていけないアスペルガー、対決する」ってお話-note.mu こちらは「ボクの彼女は発達障害」シリーズの作者であるくらげさんとこの本でイラストを描かれている寺島ヒロさんが、「発達障害の人がぶつかる生活の壁」について(面白く)色々話しているというものです。 (本には書かれていませんがくらげさん自身もADHDで、寺島さんはアスペルガー傾向にあるそうです。つまり両者とも「発達障害当事者」です) 図らずも、今週は「掃除」についてなのですが…。 くらげさんの話が本当に今の私の感覚とマッチしていまして…(´・ω・`) たとえば、私は摂理でルームシェアをする前は一人暮らしをしていましたが…物の散らかりようが本当に激しくて…(´・ω・`) 埃も取っていなくて、掃除機を掛けるのも結構…月一回レベルだった気が…(;´・ω・) 引っ越しをするとき、掃除を必死になっていたことを思い出します。いや、本当に大変でした。 私もADHD傾向の人なのですが、このADHDを持っている人で「掃除や片付けができない」という人は結構多いようです。 その理由はよくわかりませんが…どうも「外からくる情報」の処理が苦手なような感覚なのかもしれません。「情報」としては認識しててもそれが「自分のこととして結びついていない」というか…。 外からの情報にはむしろ敏感なところはあっていろいろなところに気づくのですが、それが「実感」として結びつくのに時間がかかる…というか…。 どうも、この感覚はうまく説明できません。 そんなわけで、摂理の中でも特にきれい好きな人と話すと「感覚がかみ合わない」ということが起きます。 ちょうど上のマガジンであった寺島さんのような感じで話されたことがあるのですが(さすがに悲鳴は上げないか…(笑))、本当にうまく掴めませんでした。 綺麗にしよう、というより「人に良く見られたい」から掃除する、という感覚のほうが近いです、今の私は…。 まぁしかし…。 「綺麗」の感覚はわからずとも、「自分がわかる範囲で」綺麗にすることは大事だと思います。 神様は「自分が理解できない範囲で」やることより「今できること」をするようにされます。そして、その中でもっと次元の高いことを学べるようにします。 実際、皆と共に過ごしていて、以前よりは「整理する」感覚とか「掃除する」感覚は身に付きました。今なら物がかなり散らかっていると気になります(´・ω・`) おそらく基準は普通の人くらいかそれより下かもしれませんが、それでも自分のできる範囲で神様を綺麗に迎えたいなと思い、掃除を頑張ろうと思うのでした。  

(いい意味で)人は人、自分は自分。

こんばんは、satoです。 今日のタイトルはここ最近生活しながら思うことです。 私は摂理に来て人と一緒に行動することが多くなりました。特にルームシェアをするようになったことは一番大きな変化だ、と思います。 元々私は「一人でいる時間」をとても大事にしていました。「自分だけ」の時間というのがないと苦しかったのです。 そんな私がなぜルームシェアをしようかと思ったかといいますと…。一言で言うと 一人で生活をしていると、間違いなく自堕落してしまう…。 と確信していたからです。なんせ、一人で生活していた時の堕落っぷりが半端無かったので…。 まず、脳の特性+過去の環境、習慣で片付けや掃除がとても苦手。 そして、部屋が狭いから、寝ながらパソコン…という如何にも引きこもりのような生活をしていましたからね…。 そんな環境の中で自分の生活を治めるのは難しい、という判断(霊感?)で、摂理の人からの「ルームシェア」の提案に乗り、一気に生活環境を変えることにしたのです。 さて、そんな私ですが、やはり片付けや掃除が苦手、などの自分の体質は変わっていないわけで…。 だいぶ長く経っていますが、未だに生活がうまく出来ない、というのはあります。片付けや掃除はだいぶ出来るようになったのですが、意識づけがまだまだ弱いとか…。 そして、自分の生活習慣があまりにダメだ、ということを自分が認識しているので、そういう部分を人に見られるのがとても苦痛だったりします。 よって、ルームシェアしていると非常に苦慮することが多いです。 ルームシェアをしていると様々に良いこともあります。何より自分の過去の生活習慣を変える教育をたくさん受けられるし、人を通して教えられることで意識づけがされるのでとても変化が早いです。 正直ルームシェアをしなかったなら、今でもあの自堕落した半引きこもり生活をし続けていたかもしれません…。 また、神様を意識して生活し、神様と共に兄弟愛を成すことができるので、それも恵みです。 こうやって人と生活する中でとても大事だな、と最近思うようになったのが人は人、自分は自分という意識をする、ということです。つまり、「お互いを尊重する、けど人の言葉をすべて聞く必要はない」ということです。 人を通して神様が教えてくださることもあるので、人の言葉を聞き入れる姿勢はとても大事です。しかし、だからといってその人の話を全て聞いて、「自分が間違っている」とか思ってしまうと…それはそれは苦しいことです。 また、「あの人のこの言葉が気になる…」と私が思って、その人のそれを変えようとしてもあまりうまく行きません。これは私がよくやりがちなことですが…これをやると、大抵うまくいきません。自分の心に良心の呵責が積もって、苦しくなります…。 本当に反省します(´・ω・`) 神様は、それぞれに「一対一」で働きかけます。 だから、自分にとって神様がAであると話したとしても、それが相手にとっても同じ答えとは限りません。神様はその人に対してはBである、と話しているかもしれません。 要は、「それぞれと神様との関係性」が大事なのです。今という時間も… ある人にとっては、神様との愛を育んでいる時。 ある人には神様の願いを成すために行なう時。 ある人にとっては、傷ついた心を癒やす時。 ある人にとっては間違っていた認識を変える時。 それぞれにとって意味が異なります。 だから、お互いにそれをわかって接してあげるのが最善ですし、自分と神様との間で「これだ!」というのがあれば、人に何を言われても気にしなくても良いのかな、と思います。また、人に配慮して欲しい時には「それをちゃんと告げる」ということも大事です。 まぁ、私はどうしてもすべてが「AかBか」という思考回路が強いために、気になることを話しているうちに人とぶつかることが多数あるので…本当に気をつけねばなりません。(ただ、大概相手にそういう話をしたら、「え、ぶつかっていたんですか?」と返されるのですが…( ゚д゚)私の気にし過ぎなのかしら…) 摂理内にかぎらず、うまく相手のことも自分のことも配慮して生活できると、もっと心が楽になれていいですよね(^o^)  

摂理人の生活

摂理には東京だけではなく様々なところに教会があります。 遠出をするときには、他教会にお世話になることがあります。 その時は、他教会のメンバーの家に泊まることもしばしば(笑) 安く泊めさせて頂き感謝です☆ という自分も、ルームシェアをしています。 時々、大学生が実家から通っている人が泊まりにくる事もあります。 なので毎日がワイワイしていますヽ(=´▽`=)ノ   グルメな僕にとっては、毎週のように食卓に出てくる料理がとても楽しみでなりませんwww ↑自分が作れ〜^^; 20150926_料理2   20150926_料理120150926_料理320150926_料理4                                                                

摂理と「一緒に暮らすと…」

こんばんは、satoです。 突然ですが、私は現在ルームシェアをしています。 なので、色々な人と寝食共にすることが多いです。 そんなことを続けていると…自然と「考えが同じようになる」のです。 今日、こんなことがありました。 私たちは礼拝を捧げる場所として使わせていただいている場所の掃除をしていました。その時パソコンから賛美を流していたのですが、ふとした瞬間「賛美の歌詞もじり」が思い付きました。 私はいつも賛美の歌詞をもじってネタにすることをしているのです。…賛美の価値下げないようにしないと。 そして、瞬間そのもじりを歌ったところ、一緒に掃除していたルームメイトが私のところに詰め寄ってきました! 「ヤバい!さすがに今のネタはまずかったか…というかやはり賛美をもじるのはよくないか…」と焦っていたのですが。 しかし、よく見ると呆れているというよりは何やら「笑っている」様子。 よくよく話を聞いてみると…自分がその歌詞を歌ったタイミングで…「全く同じネタ」を歌っていたのです!(笑) 長いこと同じところで暮らしていると「こんなに自然と考えが似ていくのか」と二人で笑っていました。 「一緒に暮らすと自然と考えが似てくる。だから、いつも御子と片時も離れずに生活しなさい」 いつも先生がこのように話されました。私もいつも御子と近くする生活をして、自然と御言葉が思想となっていたいです。  

さらば、共同生活。兄弟との生活に感謝と新たな決心

ついに ついに! ついに!! 一人暮らしが始まりました。 物を運ぶ作業は1時間くらいで終わりました。 ネットやガスの手続きや家具や家電を揃えたりしていたら 結局、朝から晩までかかってしまいました。 足りないところはまだまだたくさんありますが。 これから少しずつ揃えていきます。 一人暮らしがついに始まるのかと思うと、一つの感情が湧き出てきました。 「寂しい」 摂理に来てから、こんなに寂しいと思ったのは初めてのこと。 自分の中では克服したと思っていた性格だったので、衝撃でした。 自分の中に潜んでいた直すべき性格がまさかこんなところで現れるとは。 今まで、兄弟とずーっと生活をしてきたから、一緒に暮らすことの価値をあまり感じられていませんでしたが、 いざ離れてみて感じる兄弟との楽しい生活。 家に帰れば兄弟に会って楽しく会話できていたのを思い返すと、本当に感謝です。 寂しいと思う性格を直すにはいつも神様と主と一緒に暮らしている感覚を掴まなければなりませんね。 一人暮らしは私にとって適切な選択だったのだと感じます。 人を優先にするのではなく、神様を優先にすること。 一人だからこそ、もっと神様と主に寄り添って生きてくことを誓った新居生活1日目でした。  ]]>

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