ハレルヤ!
知るって、ある意味、たいへんですよね。
あることについては、知ることによって、生じる責任があると思います。
子どもは、知ることをとおして、その事を自然と使っていますよね。
例えば、親の手伝い。
掃除や洗濯ものを一緒にたたんでくれたり、一緒にご飯を作ったり。
お留守番をしてくれるようになり、お買い物に行ったりしてくれます。
他にも下の妹や弟ができたら、育児を手伝ってくれます。
親がしている事を見て、親の喜ぶ顔が見たくて、頼まれて、教えられて、自然と手伝ってくれます。
そうですよね。
そして、社会人になっても同じです。
仕事のことを覚え、それを行なうようになります。
その仕事を続けるなら、覚えて、行なわないといけませんよね。
知っているのに行わないなら、会社からや上司からの評価は低くなりますよね。
営業ならなおさらではないでしょうか?
責任を果たせないなら、仕事の業績の悪化につながります。
そうですよね。
知って、信じるからこそ、その責任を果たしたいと願うのです。
これは純粋に子どもが親の喜ぶ姿を見たいことと同じではないでしょうか?
みなさんも親や子どもの喜ぶ姿を見たいのではないでしょうか?
もし、悲しんでいたら、自分自身も悲しく感じるのではないでしょうか?
<信じて従う人たち>が責任を果たせなければ、
<主>が十字架を背負うようになる。