摂理で聖書を学ぶまでは”ただのチーナ”でしたが、今は”摂理好きチーナ”に変化しました。
「時」についてバイブルスタディーで学ぶ事もあり、中でも「ひと時、ふた時と半時」は
(*^▽^*)神様だ―!!と感動した事を想い出します。
★★興味ある方はちょっと参考に〜↓↓↓★★★
ひと時、ふた時と半時
[鄭明析牧師による主日の御言葉から] ひと時ふた時半時と2012年 -摂理マンデーより-
バイブルスタディーと言うのもそうですが、
私自身は、これを通して聖書をよく読むようになったんよね。
「時」についての聖書の箇所で好きなのは、
旧約聖書:伝道の書:第3章1節〜8節やね(*´▽`*)
また、
鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師の明け方の御言葉に以下のものがありました。
<時間>はどのように使うかによって
「使ったこ痕跡」が見え、
「有益が」が左右される。
「時」を逃したら、
あと必ず後悔するようになる。
「時」を分かって迎えた人が
最高に幸せな人だ。
アーメン!!
ソロモン王も
「天の下の万事はすべて時があるから、
神様は時を定めて行なうし、人々もみんな自分の時がある」と言ってますし、
「時」を掴みたいですね〜(*^▽^*)♫
最後に、
旧約聖書:伝道の書:第3章1節〜8節より、以下引用
天が下のすべての事には季節があり、
すてべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
神様は「定まった時」まで機会を与え、
「神様の時」に合わせて行われる。
‐鄭明析牧師の明け方の御言葉より‐