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「与える愛」を摂理で学んだから

先日、誕生日を迎えたまっちゃん。

摂理に来るまでは、「誕生日=お祝いして貰う日」だったが、摂理に来てからは、まっちゃんにとって「誕生日=感謝を表す日」になった。

 

何故か?

 

お師匠がそうされるからだ。

まっちゃんのお師匠であるチョンミョンソク牧師は、誰よりも「与える愛」を沢山まっちゃんに見せて下さった。

誕生日にも、チョンミョンソク牧師をお祝いしに集まっても、むしろお師匠の方が食べ物を振る舞って下さった。

また、チョンミョンソク牧師の国「韓国」では、旧正月が一番大きな行事で、家族が集まるのが慣例だ。

チョンミョンソク牧師は、自分が家族と会えない状況の中でも、家族がいなくて家に帰れない人たちの事を気遣って、「家に帰れない人たちは、旧正月に私の故郷にきなさい。」と仰った。

そして、故郷にいるチョンミョンソク牧師の弟さんに「私の代わりに、彼らに食べ物を振る舞ってあげて欲しい。彼らが寂しい思いをしないようにしてあげて欲しい。」とお願いされたそうだ。

 

両親を早くに亡くしてしまった人も摂理にはいるが、そういう一人一人に対しても、チョンミョンソク牧師が本当に気遣って下さっていた事を知っている。

まっちゃんの友だちがそうだったが、彼女にチョンミョンソク牧師が手紙を下さった。

「これからは、私があなたの家族になるよ」と仰って下さったんだ、と彼女は涙を流しながら嬉しそうに話してくれた。

本当にアガぺ的な愛の実践者だと、その姿とその行ないを見ながら思った。

 

教育者としてつくづく思う事。

口で言うのはたやすい。

しかし、それを実践することは難しい。

聖書にも「口には甘いが腹には苦い」という言葉が黙示録に書かれている。

 

しかし、チョンミョンソク牧師は必ず行われる。

チョンミョンソク牧師の座右の銘は「最後まで」と「実践信仰」だ。

青年の時から、神様の愛を人々に伝えたい、イエス様のように人々に愛する心で接したい・・・そういう心でいつも過ごされた。

自分の持ち金を全て乞食にあげてしまい、自分は帰り道お金が無くて歩いて家まで帰ったこともあったそうだ。

乞食が可哀想で、家に招いて一緒に暮らしたこともあったそうだ。

そんなチョンミョンソク牧師に少しでも近づきたくて、その生を共にしたくて、まっちゃんも誕生日に周りの人たちに感謝を捧げる日にすることにしたのだ。

 

まずは、神様・聖霊様・御子に感謝。

そして、チョンミョンソク牧師にも感謝。

そして、家族に感謝。

一緒に住んでいるルームメイトにも感謝。

そのように、誕生日には「感謝」を捧げている。

 

誕生日の前日、「聖霊様と一緒にお祝いするケーキを買いに行こう」と思い、ケーキ屋さんに行った。

ショーケースに並ぶ色とりどりのケーキの中から、ルームシェアの3人が好きそうなケーキをお祈りしながら選んだ。

そして、聖霊様と一緒にまっちゃんが食べるケーキも選んだ。

おいしそうなケーキたち★

 

いつも感謝と愛を忘れずに・・・・💛

 

信仰と希望と愛 この中でもっとも大いなるものは愛であるーコリント人第一の手紙13章より抜粋ー

 

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