先日、礼拝後に摂理のメンバーでグラウンドに行きサッカーをした。
まっちゃんは大学生の頃に摂理に出会ってから、土曜日は毎週サッカーとソフトボールをしていた。
始めは上手く蹴れなかったボールも、何度も何度もメンバーが蹴り方を教えてくれたので、沢山練習するうちにできるようになった。
リフティングも5回~10回くらい続くようになった時は、本当に嬉しかった。
元々ソフトボールをしていたので、サッカーとは程遠かったまっちゃん。
サッカーのイメージは「広すぎるコートを走らないといけない過酷なスポーツ」というもので、あまり心惹かれなかった。
しかし、大学3年生の時にワールドカップがあり、そこで一気にサッカーブームに!
大学でもサークルのみんなで食堂のテレビ前に集まって中継を見たり、同じ学科のみんなで家に集まって夜通しサッカーの試合を応援したり・・・・
当時は、サッカー熱に盛り上がって、道頓堀(大阪の難波にある川)に飛び込む人も多かった。
それを見ながら・・・
ウズウズ
ウズウズ
飛び込む人は男性ばっかりの中、飛び込みたい気持ちでウズウズ(笑)
でも、ハッと我に返るー(@_@)!
(ダメダメ!飛び込んだ後、川の水が汚れているから病気になる人もいるって聞くじゃん!)
そう自分に言い聞かせて気持ちを抑えていた。
でも、頭の中ではいつも道頓堀に飛び込む人たちと共に自分も飛び込んでいるシーンが浮かんでいた。
まっちゃん、子どもの頃からお祭り騒ぎが大好きで、そういう所に行くとワクワク・ソワソワする。
ジッとしていられないのだ。
そんなお祭り騒ぎの道頓堀をいつも見ながら、最後までジッと絶えた日々(笑)
今となっては、(あの時飛び込まなくて良かった~~~)と思う。
あの当時、沢山の人が道頓堀に飛び込んで問題になり、警察沙汰にもなっていた。
結局、道頓堀には柵と網が張り巡らされ、飛び込むことすらできない状態に整備された。
今となっては(飛び込んでやろう!)という思いが沸き上がらない情景だ。
あの当時は「度胸試し」のような風習だった「道頓堀へのダイブ」も、大人になったら些細な事に感じる。
自分の考えが成長したからだし、好きなもの、大事に思うことも年月を経ると共に変わっていったからだ。
そして、何より大きかったのが御言葉との出会いだった。
自分をもっと大事にするようになったし、周りの人も大事にする気持ちがもっと強くなった。
人を意識するだけで過ごしていた世界から、神様を意識して過ごせる世界に変化した。
肉の人生100年を満喫する気持ちでいっぱいだった考えから、永遠に最高の人生を得るために努力する考えに変わった。
人は面白い。
考え方一つでこうも変わるんだな。
昔の「楽しい」と今の「楽しい」
昔の「好み」と今の「好み」
180度違う気がする。
そして、今の方が断然幸せだし、有意義だと自信をもって言える。
そんな毎日を過ごせていることに感謝だ。
老人になるまで、毎日成長・毎日変化する楽しみをいつも噛み締めて生きたいな★
摂理メンバーとのサッカーを通して、自分の生について振り返って考えるようになったひと時だった☆。.:*・゜