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美しく装うために心がけているのはただ一つ

綺麗だな 綺麗だな[/caption] このお花は帰りに撮ったお花ですが、少し時間が経って太陽が出ていませんが、このように、何気なく咲いている花でも美しい光を放つのだなと、シャッターを切りました。 あぁ、人間はいつまでも美しい姿でありたいと、お肌のお手入れもし、お化粧もし、ヘアスタイルも決めて、服もビシッと決めるけれども、肉体の年齢には敵うことはできないなと、また肉体の限界を感じるようになりました。   外見に考えを捉われていると、いつまでもキリがありません。   自分の内側が美しさを増すと、自然に外見(そとみ)も美しくなるものです。 聖書にはこのような聖句があります。 『また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。』 (新約聖書:マタイによる福音書6章28〜33節)   きょうは生えていて、明日は炉に投げ入れられる野の草でさえ、神様は美しく装ってくださるのだから、花よりも優れた存在として生きている私たち人間を、神様がよくしてくださらないことがあろうか、そういうことはない。 と、話をしています。   人はそれぞれ、神様によって生まれ持った個性と命があります。 周りばかり見て、外見ばかり着飾って、それで自分の人生を終わっていいでしょうか。 自分の個性を見つけ、掘り下げ、開発し、活かして、自分の命を全うする人生を生きられなければ、どんなに世界中の素敵なもので自分を着飾ったとしても、最後は虚しいだけです。   自分の個性が輝き、自分の命が輝くならば、自然と外見の美しさは備わってきます。自分の内側が変わるからです。   今日も、自分の内側を輝かせる人生について、気づかせてくださるお花のメッセージに感謝します☆     ランキング参加中☆応援よろしくお願いします^ ^ にほんブログ村 ライフスタイルブログ ナチュラルライフへ にほんブログ村 follow us in feedly]]>

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