正確にいつだったかは覚えていないが、恐らく7~8年前のこと。
自分がまだ大学生の時。
その日いつものように大学から帰ってきて、駅から自宅まで自転車で走っていた。
すると向こうから同じく自転車で走ってきた男性とすれ違った。
すれ違う瞬間にその人を見てみると、ちょっと変な感じでニヤニヤ笑っていた。
それを見て瞬間「あ、この人は障害のある人なんだな」と思った。
(そういう人は大体見れば雰囲気やしぐさで分かるだろう。)
特に「思う」というほど思っていなかったが、なんともなしに通り過ぎた。
しかしその瞬間
「あれ?自分はどうしてあの人は障害のある人だと判断したのだろう?」
と考えた。
考えてみると、
あの人は少し笑いながら自転車に乗って走っていただけだ。
それのどこがいけないのか?
それのどこが変なのか?
(もちろん普通に爽やかな笑顔で走っていたら、
「ああ、なんていい笑顔で自転車に乗る人なんだ」(^◇^)
で終わったかもしれないが。)
その時、
「そういうお前はどうなんだ」と自分を振り返る。
自分は笑うこともなく、真顔で(ある意味ブスっとした顔で)、自転車をこいでいる。
それならば、多少変な感じだとしても、笑いながら自転車をこいでいるあの人の方がよいのではないか??
むしろ笑いもしないで、ブスっとした顔で自転車をこいでいる自分の方が<異常>なのではないか?
と思った。
聖書には以下のように書かれている。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
テサロニケ人への第一の手紙5章16~18節
その人が「喜んでいた」かどうかは分からないが、とりあえず「不平不満」は言っていなかった。
下手すると神様に「あなたも私から見れば異常だ」と言われてしまうかもしれない。
人のことをどういう言う前に、
神様の前で、御言葉に照らし合わせてみた時に、自分の行動はどうなのか、
いつも振り返ってみるべきだということを悟るようになった。
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