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山の日  

今日は2回目の山の日でした。

何か?いつの間にか祝日になったという感覚が強いです。

去年は山の事故についての話しが多かったような気がします。

どんなことでも油断していたら思わぬ事故につながるモノですよね。

さて、今日は皆さんはどんなことをして過ごしたのでしょうか?

僕は諸事情もあり、今年の夏は帰省せずに大阪で過ごしています。

実家に帰省されている方もいらっしゃるかと思います。

故郷は良いですよね。

帰ったら落ち着く場所ですよね。

今は賃貸で暮らしていることもあり、家と言うよりも休む場所って感じです。

まぁ、引っ越しもしたりしているので、そうなのかもしれませんが・・・

人には帰るべき場所が必要なのではないでしょうか?

この肉体は自分の両親がくれたモノです。

では、自分の霊魂はどうでしょうか?

ヨハネによる福音書に「光あれ」

創世記に神様の天地創造の話があります。

人は神様の御心により創造された存在です。

そのことがどれほど、尊いことでしょうか?

また、そのことを知ることができたことがどれほど、幸せでしょうか?

人は知らなければ、価値があるモノさえ、価値が無いように扱います。

また、価値を知っていたとしても、その価値がどのくらいなのか?

本当に知っていると言えますよね。

私自身、神様、聖霊さま、御子の価値を本当に知っているとは言えません。

そして、メシアの価値もそうです。

自分が知ってこそ、そのことをより正確に伝えることができるのではないでしょうか?

皆さんも、神様から創造された意図をぜひ知ってほしいです。

悟ってほしいです。

その時、皆さんの人生は変わるのではないでしょうか?

万物の宝が存在していても、「知ること」に目が開かれなければ、

全部一つの万物としてしか見えない。

金(きん)もダイヤモンドも、それについて学んで知ることができなかったときには、

すべて石の塊と思った。

天に属したものも、真理も、学ばなければ普通のものに見え、

神様の人も、学ばなければ分からなくて、同じ人間としてしか思わない。

ダイヤモンドも一つの石であり、金も一つの金属だ。

しかし質が異なる。

神様が遣わした救い主も一人の人間だ。

しかしその心と考えと行ないの質が異なる。

 

 

 

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