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わたしの価値を見出すために

どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。 (新約聖書:テサロニケ人への第一の手紙5章23節)   人間のからだのことを、霊と心とからだと表現しています。 すなわち、人間は、次の3つの部分で構成されている存在体だということができます。 ①からだ(肉体) ②心 ③霊   この一つ一つにつきましては、詳細は別に触れることとさせていただきます。 大切なことは、この3つの存在体が、それぞれお互いに関わり合いながら働きあっているということです。 そして、からだと霊とをつなぐ役割をするのが、心という存在です。 この心をどのように持つのかによって、人間の行ないが変わってきます。 心を言い換えると、精神、また、考えとも言い換えることができます。 すなわち、同じく息をして、動いている人だとしても、心がそれぞれ違います。 もしも、からだも同じで心も同じ人ばかりがいたら、世の中は恐ろしいです。 ロボットみたいな同じ考えしかしない集団になってしまいます。 実に味気ない世界ですよね。答えが分かりきっている世界です。 そんな世界、素敵ですか?   一人一人、心が違うから、個性があり、違いがあり、面白いんじゃないですか。 すなわち、人間の値打ちは、心にあるということです。 言い換えると、人間の値打ちは、精神にある。 人間の核は、精神にあるということです。   人は、同じく人を見るときに、どこを見て判断しているでしょうか。 パッと見て、外見で判断します。 しかし、神様が見られるところは違うと聖書に書いてあります。

しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。 (旧約聖書:サムエル記上16章7節)
  人は、顔やかたちなどの外面を見てしまうが、神様は内面である心を見られるということです。 その人がどういう心を持っているのかがポイントになります。 その人の心の表れが、外面の表れとして出てくるようになります。 結局、核は精神、心です。 人間の値打ちは精神にあるということです。   私たちの精神を、しっかりとした、はっきりとした精神に作る時、全てのことが成功につながります。 精神をカッコよく、はっきりと作っていきましょう!     ランキング参加中☆応援よろしくお願いします^ ^ にほんブログ村 ライフスタイルブログ ナチュラルライフへ にほんブログ村 follow us in feedly]]>

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