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摂理の御言葉ってホントなの?~physical cultureからの眺め~

「physical culture」の意味ってなんだか分かりますか~?

 

・・・

 

無題

↑↑知らなかった…笑

 

今日は僕の専門分野である体育の視点から摂理の御言葉の「霊」について考えてみたいと思います。

 

 

御言葉を聞き始めた人たちが最初に引っかかること(?)、なかなかピンと来ないのではないかと思われることは「霊」についてじゃないでしょうか?

 

gi01a201409180800霊=ゴーストではないですよ~

 

「自分に『霊』がいるなんて信じられない!!」

そう言いたくなるのは分かります。。。

 

でもみなさん、体育の授業を思い出してみてください。

 

☆球技(バレーボールなど多い)のをしていて、なんか次自分のところに飛んできそうな感じがしていて、実際にボールが飛んできた!という経験はありませんか?

☆同じく球技(野球や卓球など多い)をしていて、ものすごい集中してボールを見ていたらいつもよりボールが大きく見えた、あるいはボールが止まって見えた!という経験はありませんか?

☆長距離走の時に、ランナーズハイと言われるような、このままのスピードでどこまででも走っていけそうだ!と感じた経験はありませんか?

☆全力で走っている時(50m走)や全力で泳いでいる時に、もう一人の自分が自分を上から見ているような感覚になった経験はありませんか?

 

200

 

それらは肉の世界では説明がつかないんですね。

じゃあ、なんだ?霊的な体験(自分の肉体が経験したこと)なんです!

(体育会の方々はもっと多くの霊的体験をしているかもしれませんね!)

 

日本人は宗教的なイメージが強いからか、霊という言葉をあまり使わないですが、

「フロー状態」や「ゾーンに入った」、少し専門的なところでいうと「インナーゲーム(セルフ1・セルフ2)」など、

自分の肉体に起こる霊的な現象を何とか説明しようとしていることは事実です。

しかし、胸がすっきりする答えを得られるのは霊について教えてくれる摂理の御言葉です!!!

 

今日はphysical culture【体育】の切り口で摂理の御言葉について書いてみましたが、みなさんいかがだったでしょうかね?

 

 

最後に「体育」と「霊」のキーワードで思いついた聖書の箇所を紹介↓↓

コリント人への第一の手紙/ 09章 25節

しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。

※朽ちるもの=肉、朽ちないもの=霊

 

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