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待ちこがれる想い

 

突然ですが、、、待ちに待った時を迎える前って、

時間が経つのがながーく感じますよね。

 

例えば、外食に行って料理を注文した時、まだかまだかと待つ時間。

その5分、10分でも、ながーく感じます。

ましてや、他の人の料理がそろった後の場合、もう勘弁して~(ノ゚ο゚)ノ ってなります。

(わたしだけ?)

他にも、帰宅する定時の時間とか、旅行に行く日とか、給料日とか 笑

 

このように、人には待ち望んでいる時がありますが、

神様にも待ち望んでいる時があります。

それは、「人と目と目が合う時」です。

 

えっ、どういうこと?

 

ここで一つ、鄭明析先生の詩を紹介いたします。

 

<義人の生>

主は今日も義人たちを探そうと

ひたすら地上ばかり見下ろしています

首が痛いのか両手で頬杖をついて

海辺の砂のように多い人

空の星のように多い人々

その中で主 求め 真理 求める

義なる生き方をしようとする人はどこにいるかと

 

主は今日も頬杖をついて

地上ばかり眺めています

 

すると義人は目を上げて 天を仰ぐと

主の目と目が合いました

主ははっとして

義人は思わず感激して涙を流します

 

「主=神様」の心情を表した詩。

私が初めてこの詩に出会った時、神様の心を深く感じるようになりました。

神様の愛を求めて、その愛に答えてくれる人がいるのかと、

ずっと眺めて、探していらっしゃる神様の心情。

 

全知全能で何でも持っておられる神様が唯一持っていないもの。

それは、「対象体の愛」だとおっしゃいました。

「愛」は相手がいて初めて受けることができるもの。

だから神様とは違う存在である人間、つまり対象体から受ける愛は、

神様にとって最高に価値があり、最高の喜びです。

 

その愛を待ちに待った期間が、宇宙創造137億年。

想像もつかないほどながーい期間ですが、

ましてや、待ち望んでいたとあれば、神様はどれほど長く感じたのでしょうか。

そう考えながら、神様と目を合わせて、私もうれしくなりました。

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