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摂理で結婚するということ

結婚。

自分は結婚するのかしないのか
結婚するならどんな人とするのか
将来、人生を考えたときに
大きな人生の分岐点になるだけに
いろいろ考えちゃいますよね。

実は今日はRicca夫婦の5回目の結婚記念日。
これに合わせて記事を下書きしていたら、
思っていたことが今週の御言葉で

そのまま!

出て来たので、
それを絡めつつ書いていきます。

今日は摂理での結婚がテーマです^^

 

目次

摂理の結婚は教祖が決める?

摂理で結婚するというと、
「教祖が相手を強制的に決める」
…と思っている人がいると聞きました。

え!そんなばかな。

相手どころか結婚するかどうかさえ、
本人の意志に委ねられてます。
一体どこからそんな噂が出たのか謎です。

摂理は自分を磨き、
神様との愛を育てるところなので、
一定年齢に達するまで結婚はしないし、
結婚の話が出ることもないです。

でも普通、教会に、
教会じゃなくても寺でも神社でも
「恋愛するため」や
「結婚相手を見つけるため」に
通う人っているんですかね?
いませんよね。
摂理も同じです。
教会は婚活の場ではありません。

後述しますが、ぶっちゃけ
Riccaは可能ならば誰と結婚しなさいと
決めて欲しいくらいでした^^;
「間違いのない結婚」をしたかったからです。

 

摂理で結婚、Riccaの場合

結婚への憧れ

私は昔から結婚に憧れがあったほうです。
自分の両親が特に仲が良かったわけではなく、
子どもの目からは「微妙」に映ってました。
「なんでこの2人結婚したんだろう」
と思っていたから、
反面教師としていたんですね。

自分は絶対「運命の相手」と結婚して、
素敵な家庭を作ろう!

と密かに決心していました。

でも、一番の難点は
誰が運命の相手かわからないということ。
日本人男性に絞ったとしても何千万人もいるのに、
一体どうやって見つけるんだろうと思っていました。
また、世の中の人は皆、
どうやって「この人だ」とわかるんだろうと思っていました。
この人が運命の相手だって
はっきりわかる根拠は何かと不思議でした。
後悔しないのか、
決定に不安はないのかと思っていました。

ドラマや漫画で描かれるような
大恋愛に憧れてましたが、
自分の身には起こり得ないだろう
という変な確信もありました。
所詮は作り物だし、
あるとしても一握りの人に起こることだろうと。
モテたことがなかったので、どこか冷めてました。

<自分の好み>どおりに生きてみたら、
保障がありません。
<自分の好み>は不安定です。信じられません。
なぜでしょうか?<考え>と<実体>とは違うからです。
<自分の好み>で「愛の相手」を選んだとしても、
<考え>と<実体>とが違う時が多いです。
<目>と<考え>では満足して
その人を選んで愛するけれども、
<実体>は「まずい食べ物」と同じで、後悔し、
結局互いに嫌になって別れるまでします。
そして「またほかの人」を探します。
やはり満足がなくて、また別れます。

<2016年11月13日 鄭明析牧師の主日の御言葉
『自分の好み』より>

自分が好きなままにやっていたら、
いずれこうなるだろう、
と予感していたのですね。

 

摂理で結婚

そして適齢期になり、
結婚を考える時期になりました。
神様が祝福してくださるなら!と
結婚の道を選んでみようと決心し、
自分に相応しい人と結婚できるよう祈りに祈ってました。
当時祈ってた項目がとってあったのですが、
結婚に関してだけで(するかしないかも含め)
4~5年祈ってましたよ、私^^;

失敗したくはない、
でも誰が相手かわからない。
いっそ決めてくれたら楽なのに!

第一、好みのタイプがよくわからない。
優しくてぇ、信仰がよくてぇ、
背が高くてぇ、料理ができてぇ、
スポーツがうまくてぇ、頭もよくってぇ、
賛美も上手でぇ
………
スーパーマンか?(–;

 

しかし摂理にいて良かったのは、
神様を頼みの綱にできたことです。
自分のことを自分以上にわかって下さってる神様。
自分の過去も未来も見通して、
一番相応しい相手と出会わせて下さるに違いない
という確信がありました。

それで出会ったのが今の夫です。

第一印象はハッキリ言って悪かったですね(笑)
でも夫が神様から
強い感動(=こうしたらいい、
あるいはダメという感覚、第六感のこと)を受け、
猛アタックがあって決めました。

 

先生が関与すること

先生が関与されるのは、
その人が一番相応しい道に進めるように
深くたくさんお祈りして下さることです。

噂通り先生が好きな通りに決めるなら、
初めから私たちの意志や希望もなく、
結果だけが発表されて終わることでしょう。

しかし摂理にはそんな事実はありません。

 

なぜ自分の好みを頼りに選ばないのか

なぜ自分の好みだけを頼りに選ばないのか。
そのへんの宗教臭さ(?)に
引っかかる人がいるかもしれません。

摂理で根底にあるのは、
自分のことも相手のことも完全にわかっているのは
自分ではなく神様だという事実です。

自分のことは、
今現在とせいぜい過去しかわかりません。
相手のことは、
今現在見えてることくらいしかわかりません。

でも神様は、
自分のことも相手のことも生まれる前から、
先祖代々や行く末までもご存じです。

そして、よりよく知ってる神様が選ぶ方が、
自分が選ぶ答えより
はるかに理想的な答えが出てくることを
私たちは生活をしながら実際に体験し、
学んできました。

誰がどう言おうと、この事実は変えられません。

<人間の好み>は「限界」があります。
だから<満足>にも「限界」があります。
だからそれだけ十分に満足し、
喜ぶようにしてくれることはできません。
ただ<全能者、神>だけが全能でいらっしゃるから、
「人間の好みと満足」を満たしてくださり、
それが「永遠」まで持続します。
また、<主>は神様と一体になって
その御力を受けて接してあげるから、
神様の御心の中で「人間の好みと満足」を満たしてあげ、
やはりそれが「永遠」まで持続します。

<好み>は「自分の考えの次元」どおりに決まります。
そのままにしておいたら不安で、信じることができません。
だから「神様と主」に委ねなさいということです。

<2016年11月13日 鄭明析牧師の主日の御言葉
『自分の好み』より>

摂理には、びっくりするほど
「絶妙」なカップルばかりです。
自分の好みだけで選んでいたら、
出会わなかったり
その人を選ばなかったりしていたかもしれません。

 

最後に

そんなこんなで
私は自信をもって結婚することができました。
実際、今の夫と時を過ごせば過ごすほど
こんなにぴったりな人は他にはいないという確信と
何より神様が祝福してくださっているという喜びで、
本当に幸せだなと思います。

人間の人生を保障できるのは人間ではなく、
神様だからです。

<自分の好み>は
<実際に経験してみて生きてみたら>違います。
よく合わないし、差が大きいです。
しかし<神様と聖霊様と御子の好み>は
実際に経験して生きてみたら、もっと理想的です。
それによって肉も魂も霊もみんな満足するようになります。
やはり「神様と聖霊様と御子の好み」が最高です!

<2016年11月13日 鄭明析牧師の主日の御言葉
『自分の好み』より>

これからも神様に委ねながら、
最高の家庭を築いていきたいと思います。
(道のりは平坦ではないですが…^^;)

 

 

参考

摂理で家庭を持つ人のブログ記事です^^
それぞれ個性に溢れた記事なので、
また違った切り口で「摂理で結婚」を
見られると思います。

摂理の男女交際と結婚、その生活

摂理で結婚!感動の結婚式!-家庭局からの手紙

「摂理の結婚はイイよ!」

結婚って何?

 

お・ま・け

写真は今日のランチのお店♪
夫が会社のボウリング大会でゲットしてきた
2人で12,000円相当のランチコースです!
夫が「せっかくだから、結婚記念日に」と
この日に合わせて子どもを預け(娘よ、ごめん!)
行ってきました。

~季節の地野菜を楽しむ特別ランチコース~

ウェルカムドリンク(?)
リンゴジュース(ノンアルコール)

 

10種類の野菜のテリーヌ
(バルサミコ酢、黒胡椒、トマト塩、天然塩、すだち塩を添えて)

 

パン

 

かぶのスープ カプチーノ仕立て
(マッシュルームの茶碗蒸しみたいなのが下にあり)
…全部美味しかったけれど、これが特に絶品!!!!!

 

鯛のポワレ

 

イベリコ豚のロースト
季節の温野菜
マスタードソース

 

カボチャのブリュレ
~カボチャチップを添えて
ミルクティー

@Le Salon de Legumes

満腹過ぎて、
13:00予約ってのもあったけれど
(食べ終わったの15:00…)、
2人して夕飯食べられませんでした(笑)

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