「摂理の人はいい人だね」
別に摂理メンバーでない兄から出た一言でした。 私が摂理で信仰を持っていると知った時、兄がネットや摂理を離れた人たちの話を聞いて私にいつも摂理をやめるようにと説得していました。 そんな兄に摂理のメンバーと会ってもらったことがあります。 そしたら、考えが変わり、摂理に対しての誤解も少し解けたようでした。 私は現在、大学生です。 もともと、無宗教で神様を信じて生きることを軸にしようなんて一度も思ったことはありませんでした。 兄のように宗教に対して警戒をしていたし、宗教はかっこ悪いと思っていました。 ただ、その考えは外側からしか見てなかったというのと、世間の宗教に対するイメージが張り付けられていたものでした。 現役大学生が摂理と出会い、なぜ、摂理で生きていくと決心したのか話したいと思います。目次
摂理の人たちはとても人格的
摂理に出会ったのは大学入学したての時。 地域のスポーツサークルに勧誘され、蓋を開けてみたら半数以上が聖書を学んでいました。 でも、聖書に対しては抵抗もなく、喜んで自ら学びに行きました。 なぜなら、そこにいた人たちが人格的でとても輝いていたからです。 自分もこのような人になりたいと心から思っていたのを今でも覚えています。 初めて一緒にサッカーをしたときの事です。 みんな真剣にプレーをしていました。しかし、誰も罵声をあげることもなく、まさに平和が成されているところだと感じました。 これは今までスポーツをやってきた人にとっては衝撃を受けることだと思います。 私も高校まで野球をしてきましたが、真剣に熱くなればなるほど、他人に対してきつい言葉を発するなんてことは当たり前でした。 他の競技でも本気で勝とうとすれば、そういう雰囲気になることは当然のことではないでしょうか。 しかし、摂理のスポーツでは本気で勝とうとする意志がプレーに滲みながらもお互いのことを尊重し認め合いながらプレーしていました。 聖書を学んでいた人たちがスポーツをする目的は、 ・神様に栄光を帰すこと ・御言葉実践 であるがゆえに、できあがった平和の雰囲気だったのでしょう。
聖書の解き方に矛盾がない

先生の生き様が本物だった

御言葉が精神を強くしてくれる
人生全てがうまくいくわけではありません。 うまくいかなかった時、御言葉を力にすることで乗り越えてきたものが本当に多いです。 野球をしてきて、精神を強くしてきたと思っていましたが、御言葉を学べば学ぶほど、真の精神の強さは真理の御言葉でしか作られないのだなと痛いほど感じております。人生に希望を持てる
生きる目的、生まれてきた意味を御言葉で教えてくださいました。 よく自分なりに考えてきた題材ではありましたが、その範疇をはるかに超えていました。 人にも聞いてみたり、おじいちゃんにも聞いてみたりしたこともありましたが、希望の持てる答えは返って来ませんでした。 しかし、御言葉で人生の生きる意味を教えてくださった時には、最高に希望の持てる答えでした。 どんなことをしていても自分はこのために生きているのだと思えば、自信を持って生きることができます。
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