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弁当を作ってくるとなぜ偉いのか

[speech_bubble type=”drop” subtype=”L1″ icon=”1.jpg” name=”60代先輩”] 弁当作ってるの!? [/speech_bubble] [speech_bubble type=”drop” subtype=”R1″ icon=”2.jpg” name=”Luck”] そうなんです。少しでも節約するためにも最近は毎日作ってます。[/speech_bubble] という会話から始まり、先輩がカップ麺にお湯を入れながら続けてこう言いました。

[speech_bubble type=”drop” subtype=”L1″ icon=”1.jpg” name=”60代先輩”] 偉いね~ [/speech_bubble]
とりあえず、褒められたと解釈した私は「ありがとうございます!」と返事をして、給湯室でのやりとりはこれにて終了。     なんの変哲もない会話なんですけども、なんで弁当を作っただけで偉いのか、ちょっと深く考えてみました。 弁当なんてやろうと思えば、誰でも作れることです。どんなに不細工な弁当でも 誰でもできることをやっただけなのに、「偉い」と言われたことが不思議に思えたのです。 とはいえ、他の人が弁当を自分で作ってきていたら、私も思わず「偉いね~」と言ってしまいそうですが。     他人が弁当を作ってきたところを目撃するという逆の立場を脳内シミュレーションしてみたら、確かに「きみ、偉いね!」と褒める言葉が漏れることを予測できたので、感覚的には「弁当を作ってくること=偉い」という方程式が成立していたことを確認できました。 では、なぜ弁当を作ってくることが偉いのかということです。     「偉い」という言葉一つをとっても、いろんな意味合いがあります。 社長や大統領は何もしなくても偉い人です。地位や名誉を持った人のことを偉いとも言いますが、ここでは扱わないことにします。 ここでは、任意の行動に対して評価する「偉い」ということについて言及するとします。     さてさて、今回は「弁当を作る」という行動に対して「偉い」という評価をいただいたわけですが、なぜこれが偉いのかを探るために、弁当を作らない人と弁当を作る人の違いを比較してみたら、偉いと言われる所以が見えてきました。 超自己主観な比較ですが、弁当を作る人と弁当を作らない人の違いについて箇条書きでまとめたので最後まで付き合ってくだされば幸いです。 弁当を作らない人
  • 時間に余裕がない(朝の時間をうまく使えていない)
  • 健康に気を遣わない
  • お金に無頓着
  弁当を作る人
  • 時間に余裕がある(朝の時間をつかんでいる)
  • 健康志向
  • 倹約家
  実際にそうではないと思いますが、一般的に両者を見た時に連想する項目はこのような感じではないかと思ったものを列挙していきました。 あくまで比較した時に連想するものなので、弁当を作ってなくても「私は健康にものすごく気を遣ってるわよ!」という方がいらっしゃってもご了承くださいませ。   この項目を列挙してみて、偉い人の特徴というものが見えてきた気がします。 感じたのは二つ。
  • ”誰もやらないけど誰でもできること”をやるということ
  • 未来を見据えた生活ができるということ
  一つ目の誰でもできることをやるということは基本を忠実に行うことと似ています。 基本をどれだけ再現性高く行えるのか、挑戦していくべきですね。 二つ目の未来を考えた生活をするということ。 将来、どんなことが起こるのかその時になってみないと分かりません。 しかし、どんなことがあってもいいように備えておく人は賢い生き方をしていると感じます。 もはや、肉の人生だけでなく、もっと遠い未来の永遠の霊の世界まで考えて生きられる人は天才ですわ( ゚Д゚) 未来を見据えて、今を全力で生きる! 弁当を作ることで、人生を考えるようにしてくださった神様に感謝です。  
今日のひとこと カレーを弁当に入れて行った時は、申し訳なくなりました。
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