神様にたくさんのものを与えられてきました。 人同士でも何か良いことをされたら、自分のやりたかったことを我慢してまでもその人のために何か恩返しをすることを優先にするのが人としての生き方だと思います。
もらったならば感謝の思いを形にする。
形にするまでは自分のやりたかったことを我慢する。 それが結果的に自分のやりたかったこと以上にもっと喜びのある生になることを実感しています。 だから、以前抱いていた自分のやりたかったことや自分なりに考えてきた哲学を捨ててまでも神様のために生きていくことがカッコよく人格的な生き方だと私は思うのです。もらったなら抜かなければならない。 各自<よい神様の御言葉と考え>をもらったから、 <自分の悪い性格、癖、考え>を抜きなさい。 そうしてこそ「もらったもの」と混ざらない。 [鄭明析牧師の明け方の御言葉より] もらったなら抜かなければならない。]]>
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