私には大学生の妹がいます。摂理の御言葉を教えてくれた妹です。
涙もろい妹です^^
御言葉を学びながら、嬉しい感動がきて涙を流します。
御言葉を実践しながら、うまくいかずに悔しさから涙を流します。
泣いている時の話を出されて、妹は嬉しくないかもしれないのですが、
その姿はどちらも、
真剣に取り組んでいるから流れる涙であり、
とても美しいな、と思いました。
そしてそういう姿をみられるようになったのも、
摂理の御言葉を学ぶようになってからだな……と、ふと思い出しました。
天が下さった、
私たち姉妹への奇跡の1つです(*´▽`*)
妹と私は、全く似ていません。容姿も、趣味嗜好も。
同じ母親の料理を食べて育ったにも関わらず、
免疫力や体力も全く違います。
幼少期の妹は、とても病弱でした。ケガもよくしていました。
※ 当時の私から見た、私の一方的な印象かもしれませんが、
”弱い妹” というのが、私の認識だったのです。
就学前は、公園の遊具から落ちて救急車で運ばれたり、
旅行先の部屋で転んで救急外来を受診したり、
小学校の入学式は、骨折しギブスをはめた姿で記念撮影をしています。
入学後も、免疫力が弱くて入院しました。
初回の入院後、退院しても、入退院したり、よく病院受診をしていたように思います。
そしてその姿を見ている当時の私は、
私はケガもしないし、入院もしないし、運動もよくして
同じ姉妹なのに、なぜこんなに違うのだろうか?と不思議でした。
時には、看病される妹が羨ましく感じる事もありました。
両親も”弱い妹”が大病にならないように、常に気をつかっていましたし、
妹のそばにはいつも母がいる。という構図が当たり前になっていきました。
妹は妹で、自分の状況が嫌だったと思います。
入院をすれば友達とも会えませんし、
治療中は楽ではないはずですから。
それでも、
身の回りの事は病院スタッフや両親がしてくれるので、
「何もしなくていいのは、いいな」と、密かに思ったりしていました。
なぜなら、特に母親が妹に付き添いで病院に行ってしまうと、
自ずと家事は、私の仕事として回ってきたからです。
私はその時、親が近くにいてくれない寂しさから涙があふれ、
友達は遊んでいるのに、
なぜ自分は家の掃除や洗濯をしないといけないのかと、悔しさから涙が流れました。
それでも、「人は人、自分は自分。私より幼い妹も大変な治療を頑張っているから、
私も頑張ろう」と、自分なりに頑張りました^^
親の前では、あまり泣きませんでしたが、
今、思えば私も、親のいない所では泣き虫でしたねw
自分の事をあまりやらなくても、周囲がやってくれる環境で育った妹と
家族の分まで掃除と洗濯をして1日を終える自分を比べて、
不公平さも感じていましたが、
その分妹は、その後も体力はあまりなく
私はより体力も精神力もそこそこ強く育つようになります。
不公平さを感じる事もありましたが、
摂理の御言葉を学び、御言葉を実践する生活を送るようになり、
本当に公義の神様だなと、実感するようになりました。
体力があると、御言葉を実践しやすいのです。
28歳から摂理の信仰生活を始めるにあたって、ここまで成長できた1つの理由に、
天が育て身につけて下った体力に感謝した事です。
病弱になってしまった妹が悪い訳ではありません。
身の回りの事をしてくれる環境に居た事も、妹がそれを望んだというより、
妹が行う分も、周囲が先にしてしまった事も原因だと思っています。
冒頭で、妹の涙の理由をあげました。
御言葉を実践しながら、うまくいかず悔しさから涙があふれると。
幼い時には出来なかった・身につけられなかった体力づくり。
気持ちはあるのに、体がついてこなくて悔しさを感じる事が多いようです。
人は<体>も<心>も持って生まれる。
その土台の上に自分が自分を開発し、直し、作るのだ。
「先天的に持って生まれたもの + 自分の努力と開発」だ。
–鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師の御言葉より–
遅かれ早かれ、学ぶ事は学ばなければならないし、
努力して開発すべき事はしなければならない。
私の妹の場合は、体つくりを今努力し開発しています。
私は、時には周囲の人の手を借りて助けてもらってもよいのだと、
という事を学び、きつい時は「きつい」辛い時は「つらい」と、
素直に表出すればよいのだと学んで、自分を開発しています^^
幼いころは、私の妹が体質作りで努力したり、
自分の期待する言葉とは違う言葉を受けて、精神力が養われている姿をみる事はありませんでしたが、
摂理の御言葉を学ぶようになって、妹も変わりました。
真剣な姿は、本当に美しいです。
これからも、涙する事はあると思いますが、
正しい努力は決して無駄にはなりません。
涙も、よっぽどでなければ、そんな簡単には枯れませんw
私も大変さが分かるので、一緒に出来る所は励ましあいながら、
妹から学ぶべき所は学び、
真剣に取り組み、努力し、最後まで
美しい涙を流せる姉妹でいたいな、と思います。
最後まで「自分の才能と素質」をもって「労苦と時間の投資」だ。
そのような精神であれば、みんなできる。
<個性と才能>を一層開発して行ないなさい。しかし、最後までやりなさい。
–鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師の御言葉より–
今日も希望を下さり、
最後まで共にして下さる主に感謝します~^^