はごろもです!
先日は【心の病】と題して書きましたが、今日は【難病】と題して書きます。
難病とは一般的に「治りにくい病気」のことのようですが、原因不明や治療方針未確定の病気も含まれるようです。
私は小学校3年生のときに難病と診断されました。
風邪で病院に行って採血をしたんですが、
採血結果で、血小板の数値の〈桁〉が足りなかったんです!
よくよく見てみたら両脚に内出血が。
ぶつけた?と聞かれましたが、見に覚えがありませんでした。
即、検査入院となりました。
特に誰からも説明がなかったので、私は何が起こったのかわからず割りと元気にしていました。
しかし、幼いながらに両親がどこか普通でないことは感じていました。
「きっと何かあったんだろうな。」
そう思っているうちに数日が経ち、幸い病状も回復したので退院することになりました。
それから1年間は運動をしてはいけませんでした。体育の授業は全て見学。普通の生活の中で走るのもダメ。得意だった水泳も辞めるしかありませんでした。
私が当時診断されたのは、「特発性血小板減少性紫斑病(とくはつせいけっしょうばんげんしょうせいしはんびょう)」です。英語での病名を略して「ITP」と呼ばれることもあるようです。
何らかの原因により、血小板への自己抗体ができてしまい、血小板が減ることから出血しやすくなる病気です。
小児期に発病し成長する過程で治る急性の場合と、そのまま成人になっても治らず慢性になる場合もあるようです。また、成人してから発病する方もいらっしゃるみたいです。
幼い子には説明が難しいこの病気ですが、とにかく自分がよくわからない珍しい病気だとわかって、生活も変わってから、〈人生はいつどうなるのかわからない。〉そんな漠然とした不安を抱えながら「生きるとは何か。」「死ぬとどうなるのか。」「どうして私は生まれてきたのか。」ということを、考えるようになりました。
一人で考えましたが、わからず。
両親に聞いても、知らない様子でした。
神様にも仏様にもお月様にも聞いてみたけど、わかりませんでした。
(だからずっと神様はいるのかどうかもわかりませんでした。)
そこからまた考えました。
じゃあ何でみんな学校行くのかな?本当に死んで無になってしまうなら宿題せんでいいやん。
って思うようになりました。(宿題嫌いなんです笑)
自分が好きな通りに楽に生きていけばいいやんって思いました。
難病を患っている方が皆、同じことを考えるとはもちろん思わないのですが、どこかしら「漠然とした不安」を抱えていらっしゃるのではないかと思います。
どうやって病気になったのかわからない、不安。
どうやって治していくのかわからない、怖さ。
自分が病気になった意味。
などなど、様々に考えるところはあるのではないでしょうか。
私はこの「漠然とした不安」がいつも頭のどっかにいたので、何をしても集中、熱中できなくなりました。
授業を受けていてもボーッとして、友達といてもどこか冷めていました。
何かできないことがあると、「どーせ自分病気あるし」と、言い訳しました。
特に生きることに希望は感じられず、
「生」を意識するよりは「死」のことばかり考えていましたね。
しかし、小学生や中学生にそのような話はできませんでした。体育の授業を休む理由を聞かれたときに「ドクターストップになったから」と言ったら、笑われたりもしました。
それからは人目をより一層気にするようになって、病気のことも簡単に説明するぐらいになりましたね。
謎ばかりの自分の人生にうんざりするようになったんです。
正直、何で私を産んだのか!と思ったこともあったし、生きてて良かった~~と、思えたことはありませんでした。
家族には本当に申し訳なく思います。愛で私を生んでくれたのに、自分は不幸だと態度に出して生活していました。一緒に暮らしてて本当に心を痛めさせたと思います。
神様にも申し訳なく思います。愛で意図を持って「世界でたった一人の私」を存在させてくださっているのに、たまたまできた存在だからどう生きてもいいだろ!と思いながら好き勝手生きてきました。
でも神様は私の問いに応えてくださいました。生まれてきた理由も、生きていく希望も与えてくれました。
そして、その孤独だった私の心を全てわかってくださったのが神様でした。だから、私は神様をたくさん傷つけたけど、神様は誰よりも私を解ってくれて、励ましてくれて、心の支えになってくださっています。
もちろんまだわからないこともあります。どうして私が10万人に一人の病気になったのか。神様から直接聞かないと分かりません。
でも、それよりももっと大きい答えをくださったから今では「生きていくこと」を考えるようになりました。
これからも心身ともに健康を目指して良い人生を送っていきたいです。
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これを読んでいる方で、難病や精神の病気の方、またはそのご家族やご友人、恋人などいらっしゃるでしょうか?
私はこのような経験をし、孤独に思っていたので、同じように思っていらっしゃる方の助けになればいいなと思って記事にしました。
最終的には神様がその心をわかってくださったというのが私の救いでしたが、身近な方の理解や解りたいという姿勢がとても大きく助けになると思います。また、最初はわからなくても、時になればあなた様の愛を通して神様の愛を感じられることだと思っています。
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