誰が私の代わりにしてくれるでしょうか?
今の仕事は僕の代わりはいません。
僕が仕事を投げ出してしまうと・・・仕事に穴があいてしまうと言うことです。
だからと言って、僕はワーカホリックではないですよ。
自分自身がどの様な状況に置かれているのかを把握したうえで、どの様に取り組むべきか?
が大事ですよね。
行き当たりばったりしてたら、余計に忙しくなりますし、
無駄に仕事をしないといけない時間が増えますよね。
ものごとは単純です。
しなかったらできないし、したらできるのです。
ただ、どの様に取り組むかにかかっているのではないでしょうか?
僕の仕事は様々な基準や指針などに基づいて決められています。
でも、標準的な内容だったら、基本的な流れが決まっているので簡単ですが・・・
イレギュラーな内容だったら難しいです。
何をベースに決めるのか?
後で聞かれたら答えられるように根拠も残しておくことで、どうして?
その様な結論になったのかを整理もできますし、
間違ってしまわないように未然に防ぐことにつながりますよね。
信仰生活も同じです。
誰かが自分の代わりに祈ってくれるからと言っても限界があります。
誰が一番、自分自身のことを知っているでしょうか?
全能者を除くと自分だけですよね。そして、切実にお祈りできるのも自分だけです。
また、自分のことは話さないとたとえ家族だとしても心情は伝わらないですよね。
自分の状況を事細かに話した上でどの様にすべきなのかを神様に相談しないといけません。
神様だから、すべて分かってくださると考えてはいけませんよね。
報連相(ほうれんそう)は何事においても大事なのです。
<言わなければならないこと>は「言葉」を言わなければならないし、
<仕事をしなければならないこと>は「仕事」をしなければならない。
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