人間は日々いろいろな経験をするが、その大半を忘れていく。
昨日一日を思い出してみても、「やったこと」を思い出すのであって、
「何を見て、どんな話をして、何をしたのか」まで
事細かには覚えていない。
どれくらい覚えているのか分からないが、感覚的には90%くらい忘れていくのではないだろうか。
忘れたら、無かったことと同じだ。
仮に前日に90分授業を受けたところで、その内容を全て忘れてしまったら、
その授業は無かったも同然だ。
<忘れる>というのは人間にとって重要な能力だ。
だからこそ、逆に「何を覚えているのか」はとても重要だろう。
ほとんど多くのことを忘れていく中で、
<忘れないで残っていること>というのはきっと
自分が価値をもって見たり、
とても印象に残ったり、
驚いたり、喜んだりした
そういうものだということになる。
小学生のころ
最近ふと、小学2~3年生の頃のことを思い出した。
恐らく小学3年生の時だったような曖昧な記憶がある。
学校の課外活動として「下水処理場」に行くことがあった。
実際「下水処理場に行った」という事実は覚えているが、「内容」は全く覚えていない。
つまり「下水処理場がどんな場所で、何があって、係りの人からどんな話を聞いたのか」は全く覚えていない。(‘Д’)
あれからもう20年以上経つが、未だに下水処理場に行ったことは無いし、今後も行く予定はないので、
あれは人生で一度切りの貴重な経験であっただろうが、
申し訳ないほどに<全く>覚えていない。(‘Д’)
ただ<唯一>覚えていることがあった。
それは実際、下水処理場に行った日ではなく、その課外活動に行く前日に、先生から説明を受けていた時だ。
(つまり下水処理場でのことは本当に何も覚えていないということ。汗)
前日に先生から明日行く下水処理場の説明を聞いていた。
下水の処理の仕方などを恐らく聞いていたと思うが、その内容は覚えていない。
自分が覚えているのは、その話の最後の方に、先生がこういう内容のことを言ったことだけだ。
先生「明日下水処理場に行ったら、絶対に『臭ーい!』ということは言ってはダメですよ。
そこで働いている人たちに失礼ですよね」
それを聞いて「ああ、そういうことがあるのか。でも確かにそうだ」と思った記憶がある。
逆に言えば「その記憶しかない」。
そして下水処理場に行った時、確かに「臭かった」という記憶はある。笑
「ああ、確かに臭いな。でもそういうのは言っちゃだめだ」と子供ながらに言われたことを守っていた。
下水処理の方法も、
下水処理場の様子も、
係りの人の話も、
今はなーんにも覚えていないが、
生きていくために非常に重要なことは
覚えていた。
ある意味、<人生の下水処理方法>を教えてくれた機会だったとも言えるかもしれない。
人生「何を覚えているのか」が重要だ。
もしこのような常識を知らない人がいたら、
<下水処理場>に連れて行ってみることをお勧めしたい。
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