自分のことは自分で行う。
信仰があるからと言って、何もしなくていいわけではありません。
<自分の体>も自分が主人だから、
「主人になった位置」でやるべきことをやらなければならない。
やらなければ、事故が起こって自分に害になり、健康も奪われるようになる。
自分が主人だから、自分がやらなければならない。
自分がやらないなら、報酬を与えて管理をしなければならない。
<主人が管理すること>と<他人が管理すること>とは違う
自分が自分の主人になることによって、
自分の霊と肉の身体、心、考え等をおさめないといけません。
小さい時には親が管理してくれましたよね。
大人になったのなら、自分自身で行なわないといけません。
神様との関係も一緒です。
神様はどんなに祝福をくださろうとしても、それを受けるだけの次元に
自分自身がいないと得ることができないのです。
まるで、自分の欲しいモノを購入する権利を得たにもかかわらず、
そのための費用を用意できなかったようなものです。
何か残念ですよね。
主体とその対象が一緒に行なうことが大事だと教えてくださいました。
人との付き合いも似ていますよね。
相手が反応してくれてこそ、対応できますが、何の反応もないと
どうしていいかもわからないですよね。
コメント