びっくりするもの!』があります!
カステラ、ちゃんぽん、皿うどん、だけではありません。
様々な学問、文化、思想、慣習、宗教、生活様式の発信拠点であり、歴史的には坂本竜馬、シーボルト、ローマ教皇、ヘレン=ケラー等(敬称略)、日本から世界に至るまで数多くの人物が影響を受けてきた場所です。
特に、人間の行ないを形成する、新しい思想・教育・文化の発信拠点であった長崎、様々な宗教を持った人々が集まり、現在に至っています。
長崎を歩けば、教会、お寺、神社がそこかしこにあります。
そして、祈りの長崎とはよく言われるようですが、長崎には
『祈りの三角ゾーン』
と呼ばれる場所まで存在します。
しかも、観光スポットにもなっているようです。(本来、祈る場所は観光スポットにはいかがかと感じてしまうYoですが^^)
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祈りの三角ゾーン[/caption]
まさにコンビニが立ち並ぶように、教会、お寺、神社が隣接しています。
そして、まさかの看板まであります。
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祈りの三角ゾーン(看板)[/caption]
だからと言って、いわゆる宗教論争や言い争いなどはなく、お互いに尊敬の念を持ち、皆さん平和に仲良く暮らしています。
おおらかな長崎の人柄のためとも言えるでしょうか^^
それぞれの宗教を突き詰めると、信仰の向かう先は異なってはいるのですが、それでも平和に過ごしています☆
長崎には、まるで『カルト』というのは存在しないようです。
『カルト』とは一体なんでしょうか?
皆さん、深く考えたことはありますか?
日本では、あまり馴染みがない言葉なので、聞いただけであったり、想像の段階でとどまっている方がほとんどではないでしょうか。
最近はイスラム教スンニ派の過激派組織と言われる『イスラム国』の報道もあり、日本人として遺憾の意を感じるとともに、「あぁ、こういうのがテロリストであり、カルトのようなものか。」と、考える方もいらっしゃるのではと感じます。
『カルト』は、別名『異端』という言葉を使っても表されます。
『異端』とはその文字の通りに『端』が『異なる』という意味があり、もともとは聖書を根本とする教えから、解釈する神学者によって異なる様々な解釈が出てくることを総称して『異端』という言葉が出てくるようになりました。
日本ではどちらかというと、野球界の異端児とか、政治の異端児など、良い意味でつかわれる場合が多いように思います^^
私たちの聞く『異端』とは、もともとキリスト教から出てきた言葉です。
この『異端』ですが、文字通り、『端』が異なっているだけで、根本の『神様』『イエス=キリスト』を重要視することはどの派においても変わりません。ただ、礼拝の形式や賛美の形式、御言葉の長さなどが異なるだけです。むしろ、人間にも個性があって豊かに世界が成り立っているように、根本が同じなので有れば、個性としてお互いに認め合うことができるのではないでしょうか。
実際に、カトリックはプロテスタントを異端視してきた歴史がありましたが、時になり、カトリックもプロテスタントも同じイエス=キリストがメシアであることを根本として、神様を信じていることを認め、ヨーロッパでカトリックとプロテスタントが一つになる調印式が執り行なわれるようになりました^^
根本が同じであれば、お互いに確認してわかってみると、争って異端視する必要がなくなるということです。『カルト』だと思っていた場所や教派が、確かめて分かってみると『カルトではない。個性が違うだけだ。』と、認識観が転換するんです。
そして、いわゆるキリスト教で言う『異端』とは、イエス=キリストを、すなわちキリストをメシアだと認めず、「自分がキリストだ。」と自称している教えや団体を『異端』だと考えます。
摂理(キリスト教福音宣教会)の鄭明析牧師も、『イエス様はキリストでありメシアだよ。』とおっしゃって、どんな宗教も異端視されませんでした。まさにキリストの品性を磨き続け実践されながら、平和を成してこられていらっしゃいます。
長崎という地で生まれ育ったYoも、異国情緒あふれる種々の宗教の香りがする街で、鄭明析牧師のように、キリストの品性を磨き、大きな懐で平和をなしていきたいと考える今日この頃です^^
I wanna be Love & Peace☆ from NAGASAKI
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NAGASAKIから『カルト』を考える^^
2015.02.27